Scribble at 2024-08-18 07:53:58 Last modified: 2024-08-18 18:00:49
昨日(2024年8月17日)の夜も、僕は実家でこの「タモリステーション」(テレビ朝日系)を父親らと観ていた。テレビ・コマーシャルの特集ということで、電通の人がゲストとして出演していた。それはいいのだが、いったい何の理由があって、このような番組を日本では「報道番組」と呼んでいるのか。僕にはちょっと理解不能な日本語の運用だ。テレビ・コマーシャルの歴史というか、50本ほどのコマーシャル・ソングを何の基準でかは知らないが次々と紹介して感想を述べるという番組が「報道」であるというのは、僕は日本語話者としてどれほど善意の解釈をしても理解不能である。たぶん外国人にも通じないだろう。そもそも、番組を編成上で改編するような時期でもないのに、どうして「サタデーステーション」という本来の報道番組を放映せずに、こういう番組を放映するのかも事情がはっきりしない。いわゆる「ワークライフバランス」の一環として、通常の番組を制作しているスタッフや出演者に盆休みをとらせているのだろうか。
それから、上の記事は特に読んだり確認してもらう必要などないからリンクしないが、タモリが番組の中でも殆ど発言しなかったというていどのことを、何か大袈裟に取り上げること自体が番組の宣伝であろうと思う。ここ最近の通俗メディアで頻繁に「報道」と称して芸能人や有名人の X での発言などが取り上げられているように、何の公益性もない芸能人の発言をいちいち取り上げて報道などと称する事自体が、現今のジャーナリストが基本的なマス・コミュニケーションやジャーナリズムの素養を大学で学ばすに、パソコンやらポータブル・レコーダーを操作できるていどのことで、記者だのジャーナリストだのと言っている証拠ではないのか。そんな連中は、東大の学卒として NHK やテレビ朝日に入社していようと、しょせんは壁新聞を作る中学生と同じレベルである。
それから、この手の風俗や習俗について、テレビ番組でコメントや解説をする人々というのは、たいてい無名の大学で「学問」と言えないような中学レベルの調べ物をして、論文と称する読書感想文や自由研究の作文みたいなものを書いている連中だ。もちろん、僕は彼らが調べている話題や対象が些事であるとは思っていない。また、そういう些末に見えるか特殊な話題やテーマに、何か独特な研究方法なりアプローチや論点があるかもしれないとは思う。なぜなら、いまわれわれが知っている学問の区分というものは、歴史的な経緯で出来上がっているだけの制度的な区別であって、知識あるいは実体や世界にとって、合理的あるいは必然的な区別をもとに区分されている保証などないからだ。いわば、図書館で採用されている十進法の分類みたいなものであって、時代や環境や条件によっていくらでも変わってよいし、変わるべきであるかもしれない。よって、テレビ・コマーシャルを専門に研究するための学術研究というものが厳密に確立しても良いわけである。僕が言っているのは、テレビに出てつまらないコメントを喋っている、たいていは社会学者や民俗学者や経済学者に、そういう一個の自律した学問分野を確立する才能なんてないということだ。