Scribble at 2021-06-15 10:37:03 Last modified: 2021-06-15 15:32:29

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謎の数学者【アメリカ大学准教授の数学チャンネル】

ペンシルベニアで学位を取ったとか色々と自分で喋ってるから当たり前だとは思うが、5ちゃんねるですぐにミズーリ大学の武田秀一郎氏と特定されたようだ。別に匿名でなくてもいいような気がするのだけれど、ともあれ個人のブログも「アメリカ大学教員の日記」などとしているため、尻はともかく頭は隠したいらしい。もちろん嘲笑するために紹介しているわけではなく、単純に数学ではこういう意見もあるという一例として真面目に紹介している。というか、昔から数学基礎論あるいは「ロジック」と呼ばれる分野が等閑視されてきたことは科学哲学でも知っている人は多い。また、武田氏にしてもロジャー・ハウによる Howe correspondence (theta correspondence) の双対性を証明した業績などで知られているが、もともと数学基礎論の研究を志望していたと語っており、教科書を一冊すら読んだことがない素人によるデタラメな酒場のトークとはまるっきり異なる経緯や水準で喋っていることは分かる。何も気兼ねして匿名で語る必要もないだろうと思うのだが、匿名にしているのは別の理由があるのかもしれない。

「衰退」だの「オワコン」だのという批評は、もちろん(科学)哲学にも大昔から加えられてきていて、そうした批評に対しては哲学に関心をもつ人々の側でも、「哲学を軽蔑することこそ、真に哲学することである」などと、パスカルの片言隻句を振り回して分かったようなことを喚く凡庸な人々が何千人といた(SEP のエントリーを読めば、こんなセリフを抱え込んで哲学の議論になると思っているプロパーなどいないことくらい学部生でも分かるだろう)。数学基礎論に似たようなスタンスがあるのかどうかは知らないが、恐らく哲学での「哲学を軽蔑することこそ~」という〈回収装置〉と同じく、数学基礎論にも他の分野で展開される議論を基礎論の枠内でも展開できるという〈回収装置〉があるのか、あるいは原理的にそうできるというだけで特に外からの批評に耳を貸すまでもないと割り切っているのか、現在は数学基礎論と他の分野とで論争があるという話は聞かない。

もちろん、ソンダース=マックレーンが1980年代の前半に引き起こした論争について知らないわけではないが、いまやソンダース=マックレーンによって「商業的圧力」と揶揄されたコンピュータ・サイエンスの巨大な成果によって、逆に圏論のような分野ですら矢印を弄ぶ思弁としてロジックと同じ部屋に押し込められようとしているのが現実だろう。また、どのような分野や学科であれ、それらの「基礎」や「原理」として共有されるようになった事項は、そのうち教科書で素通りする単元のようなものとなり、各分野や学科においても着目したり丁寧に議論すること自体が疎んじられる概念やテーマが積み重なるものであろう。そして、それ自体は悪いことではなく、それらの基礎を踏み越えて続々と業績を出すのも、確かに学術研究のダイナミックで発展的な挙動というものだ。よって、一方に武田氏のようなスタンスで数学基礎論を(どういうわけか)「オワコン」と紹介しつつ、自身の業績を出していく人々がいてもいい(物理ではファインマンがそうだったのだろう)。そして、それでも数学基礎論なり哲学をやる余地は幾らでも残る。なぜなら、何度か繰り返してきた話になるが、武田氏が述べているような話は「僕にとって数学基礎論は役に立たなかった」というだけの経験談でしかなく、実際には学科や分野や概念や論点の正当性や妥当性を「論証」するような水準の議論ではないからだ。

寧ろ、そうしたダイナミズムを否定して〈読書〉に凝り固まる無能が哲学に多いのは困った話だし、逆に「超訳しかじか」を読み飛ばして人生や宇宙を語るか、あるいは愚かな極端を「正論」と称してリバタリアンのたわごとやヘイトを撒き散らすガキどもばかりが「哲学」に関心をもつのも困った話である。哲学の初心者として、バカかガキしか近寄ってこないというのは、いかにも情けなく悲しい。もちろん今となっては自由に公共の通信環境でものが言える市井の哲学者たる我々にも責任はあるけれど、大半の責任が通俗化の権化と言う他にない出版社と大学人にあることは言うまでもない。

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