Scribble at 2020-05-30 12:57:37 Last modified: 2020-05-30 13:17:25

このところ、Twitter では自称「黒*」とかいう特定のユーザのタグを率先してトレンドに出そうとする動きが自然発生的に起きているらしい。当人のブログを見たところ、ドラッカーの最も安っぽい著作だとか通俗日本史の本を「すごい本」などと言って並べているあたり、暇潰しに本を読んでいる学歴コンプレックスの子供なのだろうけど、この手の《言うことを聞かない人々》というのは Twitter でも日増しにハブ役が出てきていて、もちろんリベラルとか左翼と言われている人々にも似たようなアカウントはあるようだが、どんどん為政者(に世論操作の場所を提供する広告代理店という意味だが)にとって御しやすい場所となりつつある。

こうして、物事が単純になって得をするのは、こうした自称愛国者などではなくポピュリストである。なぜかというと、ポピュリストは一貫して物事を単純なままで《解消》(そして忘却)しようとする大多数の凡人の惰性に依って仕事をしたり思考するのだが、気の毒にも Twitter で威勢のいいことをわめいているネトウヨ諸君にも大学へ入るくらいの知性はあるらしいので、そのうち物事が単純ではないという、社会人なら誰でも知ってる事実に気づいてしまうからだ。そうして彼らも(年齢が20だろうと40だろうとガキはガキなので)ようやく大人になって、まともな思考ができるようになるというわけである。ただ、いつまでも気づかずに、悪いのは社会だと叫び続けて繁華街で大量殺人を起こすやつもいれば、いわゆるインセル野郎のようにモテないのはわれわれのようなイケメンのせいだと思い込むやつもいるし、日本が悪くなったのは左翼やリベラルの「自虐史観」や「反日教育」のせいだと信じ続けるやつもいる(もちろん教育の質が一般論として劣悪なのは同感だが)。そういう連中が SNS に居座り続けて、長期間にわたってノウハウを獲得するうちに、広告代理店から見て扱いやすいハブとなってくれる。そして、たいていの子供は一時だけの傾向として安っぽい正義感から安っぽい暴言に肩入れすることがあるため、やがては働き始めたり、親となったり、あるいは端的に言って大人となって《子供の思考》を顧みなくなって退出していくのだが、それら子供というのは入れ代わり立ち代わりで毎年のように新しく SNS へ参入してくるため、ハブとしての《居残った子供》が形成する勢力が何年にもわたって一定の規模を維持し、簡単に言えば体の良い「ネット世論」の一部として便利に参照できるソースとなってくれるわけである。

こうした《分別のない子供たち》の(内心はともかく)行動を変えるには、歴史を眺めてみればわかるように、圧政、属人的な自覚、あるいは地道な説得という三つくらいの経緯が見て取れる。仮に Twitter が何かの新天地だとすると、やはりそこで短期的に言うことを聞かせるには圧政しかない。たとえば Twitter では一部の場合にしか電話番号を登録しなくてもよくなっているが、これを強制して(複数アカウントを運用する人が多いので、重複してもいいことにする)、登録されている色々な情報を人質にとって「ヘイトをまき散らすやつは(たとえ個人情報保護法違反になろうとも)個人情報を開示する」と言えば、たちどころに変化が出るだろう。とかく、表現の自由という概念を濫用して勝手なことを言ったりやっている連中に限って、自分の情報を《自由に》語られることに神経質なものである。ヘイトや短絡的な正義とか愛国を連呼する連中の大半が自分の氏名や住所を全く明かさないのも、「匿名という安全な場所」(行政が本気になればプロバイダー責任法でいくらでも通信回線の契約者情報を調べられる。実名や住所や電話番号を登録していないというていどのことで匿名だと思い込んでいるのは素人だけだ)から好き勝手に言論ごっこができるという幸福な錯覚にもとづく。

もちろん、これは単なる短期的な対処療法にすぎない。そして、国家とは違って Twitter は単なるオンライン・サービスなので、Twitter を使うことに重大なリスクがあると思えば、誰でも Twitter のアカウントを削除して Facebook や Instagram にメインの SNS を移してしまえる。もちろん、既存のユーザに対しては、「これこれの発言をしたのは、既にアカウントを『削除』したが、しかじかという個人情報のユーザである」と開示することはできる。そもそも、アカウントの削除という手続きをしたところで、本当にデータが物理的に消滅するなどと考えていい根拠はない。寧ろ、「アカウントを削除したユーザの登録情報」という別のデータベースに引き写されると考えるべきだろう。他の業種の企業でも、営業メールを送ってくるなとクレームを受けたら、その相手に再びメールを送信しないよう、敢えてその人物のメールアドレスを「送信禁止先リスト」という別のデータベースへ保存するものだ。そして、皮肉なことにそういうメールアドレスに限って、最も長期に渡って企業に保有され続けるのである。ただ、そういうリスクは一度でも Twitter に登録して派手な経歴を持つ人に限られる。これから SNS を使い始める若者たちは、そういうリスクがあることを知っているだろうから、Twitter を無視するかもしれない。

とは言え、二つ目の経緯である属人的な自覚を促す方法など簡単には分からない。人々が自分の考え方や見方や行動を自発的に反省して変えるような機会を作る行政レベルの効果的な手法があるなら、それこそ社会科学におけるノベール賞に値するだろう(まぁ、ポピュリズムがそれに一番近いという皮肉な実情はあろうが)。

そして三つ目の説得という手法は、これまで人類の歴史が夥しい数の《失敗》を積み上げてきたという事実に照らしても、多くの人が最も知的で誠実そうな方法だと期待するわけだが、実際には最も困難で、説得が功を奏するために多くの時間や労力がかかり、そして何かを達成したとしても効果が失われやすいと言える。人類の戦争や裁判や犯罪の歴史がその最大の証拠だ。われわれは、別にネトウヨとリベラルのいがみ合いなど無視しても、もともと騒動や問題に囲まれていると言っていい。それは、馬が合わない親類とか、付き合いづらい同僚や上司とか、利用せざるをえないが態度の悪いスタッフがいる店とか、横柄な得意先や行政の職員とか、そして言うことをきかない自分の子供などなど、枚挙すればきりがないだろう。それに比べて、会ったこともない芸能人や Twitter の見知らぬユーザが気に入らないことを書いているていどで、他の事案よりも重大なわけではないはずだ。それが重大に見えるとすれば、そうした SNS での発言が実際にフォロワーの数として見えているせいで、そりが合わない親戚と話をすることに比べたら深刻だと錯覚しているからである。そして、そういう錯覚を利用して、広告代理店やセレブは自分たちの「影響力」を利用してステマをやったりミスリードをやったり世論操作に手を付けることで、そういう錯覚を増幅させるわけである。

そのような錯覚から抜け出す最善の方法は、どう考えても勉強することである。そうして、いわゆるセレブやジャーナリストや学者の書いていることですら、その多くは確証どころか根拠もないデタラメな思い込みや想像や偏った調査に基づく偏見にすぎないという実態に気づくことだ。しかし、それでも自分だけが調べたり考えているだけでは限界があるため、幾つかの媒体を利用したり多くの意見を見比べる必要がある。すると、たかがテレビの構成作家が数か月ほどで日本の歴史を正確かつ体系的に理解して著作を書けるわけがないという、当たり前の事実に至るのである。これは、愛国心があるかどうかなどとは何の関係もない常識なのだ。したがって、例の「コピペ日本史」と揶揄される著作について、「愛国心があればこそ日本の恥部も正直に受け止めるべきだ」と評するのは間違いである。歴史はそのような些末な(悪いが愛国心など学問にとっては夾雑物である)方針によって理解されたり記述されるものではない。よって、同じことは「マルクスからのコピペ日本史」と言いうるような、左翼の唯物史観にもとづくクズみたいな日本史の著作にも当てはまるし、信夫君が『「日本史」の終わり』という著作で展開したような、グローバリズムという事実を背景にしたリバタリアン的な結果論(というかリバタリアンは常に結果論に訴えて有利な立場から社会政策という梯子を外すわけだが)にも当てはまる。これらは、学問の成果ではなくただのプロパガンダにすぎない。しかし、もし真面目に自分が善く生きることを望みつつ、ものを理解したり考えたり判断したいというのであれば、それらは単に無視して、まともな学問の成果を学ぶべきである。だが、これをどうやって説得すればいいのかは、社会科学の永遠のテーマである。それゆえに躾や教育が重要だし、報道も重要である。

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