Scribble at 2023-09-02 12:44:56 Last modified: 2023-09-02 13:04:34

いま読んでるベン・ホロウィッツの『HARD THINGS』も面白い逸話がたくさんあるし、教えられるところが多々あるのだけれど、この本にも登場するビル・キャンベルのようなメンターというのは、どういう役割を担っているんだろうと思ってしまう。数々の IT 企業の経営者が教えを乞うてきた、絶大な影響力のある人物であった(故人)ことは確かなのだろうけど、彼に教えを乞うていたのが Facebook、Google、Amazon、Apple といった GAFA の経営者たちであるからには、逆に言うと、この人物が「すべての元凶」ではないのかと言えなくもないからだ。あるいは、こういう数々の「悪」を為している企業の経営者にとって、自分たちがそう悪いことをやっているわけでもないと宥めてくれる、ガス抜きの相手でしかなかったのではないかとも言える。

アメリカのように歴史の浅い国だと、国の「古典」と言うべき思想書が少なく、せいぜいアメリカの経営者にとっての古典なんてドラッカーかアイン・ランドしかあるまい。それゆえ古典ではなく人に教えを乞うということになる。これには、もちろん古典を曲解して自己都合で読んでしまうというリスクがなく、相手が誤解の余地を除けば客観的に批評を返してくれるという利点がある。しかし、メンターには二つの別のリスクがあり、それはハロー効果によってメンター自身の欠陥を軽視してしまうことと、特定のメンターに関心が集まると業界全体が一定の方向へ歪んでしまい多様性が失われることだ。

そして、アメリカの経営書やメンターの書いているものを読むと分かることだが、それらの有名な経営評論家やメンターや経営コンサルティング会社になればなるほど、お互いを批判しなくなり、互いに牽制し合いながら似たようなことを言い始める。つまり、人間関係に依存しすぎると古典のような自律性がないために、その時代のテクノロジーや経済状況や政治にメンター自身が引きずられて、どれほどの天才であろうと善人であろうと、何人の有名なメンターやコンサル企業があろうと全体として評価の基準やコメントの前提が収束してしまうのだ。そして、困ったことにそういう収束している状況をコンセンサスだとか、いやそれどころか「哲学」だと言い始めてしまう軽率な連中がアメリカにはすぐ出てくるのだよね。

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