Scribble at 2021-10-07 09:46:13 Last modified: 2021-10-07 11:44:26

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スタンフォードの自分を変える教室

現在は同じく大和書房から文庫本として発売されているため、リンク先は文庫のページとしてある。でも、僕は単行本を読んだので、あくまでも感想は単行本についてのものであることをお断りしておこう・・・なんて大袈裟に言うほどのものでもないが(単行本と文庫本で内容に違いがなければ、こんな断り書きに substantive な価値はない)。

さて、僕は5年くらい前の或る日にタバコを吸うのを止めた。「止めた」と言うよりも「終えた」と言った方がいいような気分だったが、ともかく禁煙の予定もなく何か一念発起したわけでもなく、もともとタバコを吸う習慣などまるでなかったかのように、全くタバコを吸わなくなったわけである。いや、少なくともそうだったという記憶がある。それまでに、何度か禁煙を試みたことはある。もちろん自ら罹患するリスクを引き上げて肺癌や心臓疾患で死ぬのは嫌だし、そろそろ嗜好品としては馬鹿にならないような値段にもなってきていたから、「これで止める」と決めては1週間、あるいは1ヶ月ほど禁煙していたことがある。でも、なんやかんやと理由をつくっては再び吸っていたわけである。それが、5年前(いや、実はもう正確に何年前だったのかすら覚えていないけれど、2018年に母親が亡くなったときは既に吸っていなかったので、少なくとも3年前よりも古い)の或る日を境にして全く吸わなくなった。それどころか、吸いたいという欲求すらなくなってしまったのだが、タバコの臭いに嫌悪感までは起きないから、何かの病気で体質が変わったわけでもない。これは自分でも驚くべきことだった。

しかし驚くべきことではあっても、不思議ではない。なぜなら、その前後に読んでいたのが本書だったからだ。そして、これまでに何度か本書を読んで冷静にタバコを止められたと書いてきたが、昨日から本書を読み返してみると、それはどうやら間違いや記憶の捏造とまではいかなくても、かなり不正確な説明であると分かった。なぜなら、実は僕は本書を半分も読んでいなかったからだ。でも、本書が採用している(著者がお好きな、瞑想を始めとする代替医療ではなく)生理学や神経科学のアプローチは、確かに当時は読み始めていくうちに感心した覚えがある。そして、自分自身が喫煙について抱いている期待とか、タバコを吸うことで得る(と思っている)報酬を考えているうちに、実のところタバコを吸う効用なんて大してないことが〈理解できた〉わけであった。とは言え、僕は本書を通読しなかったので、本書の終わり近くに紹介されている、吸ってもいいが10分間待つといった手法は実行していない。

それに加えて、その当時はタバコを吸うのが惰性になっていて、止めようと思えばいつでも止められたのかもしれないという事情もある。だいたい、30代の中頃からメンソールのタバコに切り替えて、喫煙を止めた当時は LARK のメンソールを吸っていたのだが、新しく発売される銘柄の殆どが気に入らなくてウンザリしていたところでもあった。やれ何かのカプセルを潰してから吸うだの、メンソールに他の果物のフレーバーが入ってるだの、あるいは単に刺激を強くしただけでタバコというよりも何かヘンな気体を吸い込んでいるような気分にさせられるだの、とにかくメンソールのタバコは碌でも無い銘柄ばかりが出てくるようになって、嫌気が差していたのだ。なので、ちょうどタバコをやめるのに絶好のタイミングだったのかもしれない(メンソールを吸い始めるとオーソドックスなタバコの味に戻るのは難しい。よく、メンソールを吸い始めたばかりの人は吐き気を感じたりするが、不思議なことにメンソールから戻すのも逆に吐き気がする。しかも、マイルドセブンなんていう子供が吸うような小便臭いタバコなんて吸えない)。

しかし何にせよ、本書を読んで何かを考えさせられたのも一つの要因だったのかもしれないから、僕が喫煙を或る日にぱったりと止めた(それまで通っていた道を歩くのを止めて、単に別の道を歩くようになったような気軽さがあった)ことに何らかの関係はあったのだろうと思っている。

ともあれ、本書には瞑想とかヨガとかスピリチュアル系の集会を勧めるようなアドバイスも含まれているが、原則として神経科学や心理学や行動経済学の知見を取り入れた、そこそこまともな内容になっている。自己啓発書では定番のネタになりつつある割引現在価値の議論だけでなく TMT(Terror Management Theory)も紹介されているし、ややとってつけたような説明だがミラー・ニューロンなども登場するので、単純に応用できるとは思わないほうがいいにしても(本書の議論を社会の色々な出来事に当てはめると、それこそ「割れ窓理論」が正しかったと言わざるをえなくなる)、読み物としては参考になる。また、最後の第9章では思考を抑圧することで何かを達成する効果はほとんどなく、チョコレートを食べたいという欲求を押さえつけようとしても逆効果だと言う。この話を読んだ時に、僕は同じ議論が数々の差別にも当てはまると思った。差別意識も、それを抑え込むだけで「自分は差別しない」と自信を持っている人に限って、逆に差別的な判断や言動について寛容な態度をとる傾向にあると言える。また、これは他の章でも解説されている「モラル・ライセンシング」の効果だとも言えるだろう。「正論」などと自ら言いながら、周辺諸国を敵視したり見下すような記事を平気で掲載しつづける(敢えて差別的な言い方をすれば)修士号も持っていないバカが集まった新聞社だとか、あるいは Twitter で多くのフォロワーを抱える黒瀬某のようなヘイトを撒き散らす愚劣な輩が典型だ。

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