Scribble at 2021-10-07 12:29:39 Last modified: 2021-10-07 12:36:20

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ジェームズ・アレン『新訳 原因と結果の法則』(山川紘矢、山川亜希子/訳、KADOKAWA、2016)

本書は1903年に初版が世に出ており、現在も巷に続々と出版されている自己啓発本の嚆矢と呼ぶべき一冊である。ほぼ100ページ足らずの薄い本だが、ジョン・C・マクスウェルやスティーヴン・コヴィーなど名だたる自己啓発本やリーダーシップ本の著者らが力説するポイントの殆どが、この本でも既に展開されている。

ざっと通読すれば現代英米哲学のプロパーなら分かるとおり、本書も典型的な二つの混同を起こしている。一つは、物事が生じる因果関係を、論理的な必要・十分条件の関係と取り違えていること。そしてもう一つは、必要・十分条件を使った論理的な関係を、ヒトの心理や推論のプロセスと取り違えていることだ。もちろんこれらを同一視したり、あるいは supervenience という依存関係にあると主張する学説もあるにはあるが、逆にこれらが別のものであると理解することが或る種の錯覚であると論証する強力な議論があるかと言えば、そんなものは存在しない。

我々自身の身に降りかかる全ての境遇は、我々が何事かをしたりしなかったという条件を必要とする。これは論理的には当たり前のことである。しかし、必要条件さえ起きれば結果が生じるのに十分であるかと言われれば、そんなことはない。そういう発想は、どれほど謙虚に議論を組み立てていようとも、しょせんは自分自身を「神」に見立てるような〈罰当たりの〉発想でしかない。これが、のちのライン・ランドといった人々も含めて、自らを神に擬える〈自立(independency)〉という観念にとらわれた、多くのアメリカ人が陥った「リバタリアニズム」という精神性を説明する臨床的な参考事例であることは動かし難い事実だろうとは思う。結局、自己啓発運動が宗教カルトや代替医療と親和性が高いのは、もともと精神性(大阪弁で言えば「わがが一番の大事」)が同じだからなのだ。

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