Scribble at 2021-10-06 12:17:51 Last modified: 2021-10-07 09:57:03

添付画像

「一勝九敗」の成功法則

まず最初に重大な注意点を述べておく。本書は、ジョン・C・マクスウェルの "Failing Forward" (2000) という本の翻訳ということになっているが、原著を持っている人なら誰でも分かるように、本書は原著と似ても似つかない「翻案」のレベルと言ってもいい著作物であり、翻訳者である齋藤孝氏が自由に編集した別の著作物と言ってよいものである。もちろん、だからといって読む価値がないとは思わないが、マクスウェルが意図して出版した内容とは全く異なる著作物なので、本書によって "Failing Forward" の評価をするのは不適切だと思う。原著は全16章だが、本書は全10章しかないし、原著の各章で終わりに書かれている "Steps to Failing Forward" という短いアドバイスも全て削除されており、本書は自己啓発系の本ではパターン化している〈使う本〉としての体裁が軽視され、読み流す(齋藤孝氏自身の著作の殆どがそういうものだと思うが、他人の著作まで自分の本と同じように読み流すだけの体裁に作り変えてしまうのは、翻訳者としての分を超えた行いではないのか)だけのものとなっている。

とは言え、単独の自己啓発本として読んだとして、これはこれでまとまったメッセージは伝えているため、価値がないとまでは言えない。たとえば、「やる気が起きてから、行動するなんてナンセンスだ。やる気などどうでもいい。やってしまえばいいのだ。」(p.66)といった箇所は大いに同感だ。日本では既に「やるなら、今でしょ!」という有名なフレーズが出回っているが、まさに同じことである。ただ、困ったことに172ページまで読み進めると、今度は「やる気がないと、価値あることは何ひとつできない」などと書かれていたりするのが、自己啓発本にありがちな体系的思考の軽視や整合性の欠如である。マクスウェルは聖職者でもあるし、これは聖書と似たようなものだ。

それから、細かい話だが、読点の打ち方が少しおかしいように感じる。「ここで、リスクを冒そうという秘めたる意志を、鼓舞してくれるような人物のエピソードを紹介しよう。」(p.133)という文を一例として挙げよう。「リスクを冒そうという」「秘めたる意志を鼓舞してくれるような人物」のエピソードを紹介するというわけだから、「意志を」と「鼓舞してくれる…」の間に読点を置くのは修飾関係を切断してしまっていて違和感がある。

それにしても、これほど明け透けというか堂々とした生存バイアスの議論を展開する本も、珍しいと言えば珍しい。現代において自己啓発本を出版する多くの著者は、成功した事例だけを集めて紹介したのでは説得力がないと自ら警戒し、〈目の肥えた自己啓発マニア〉の生暖かい視線を気にしながら本を書くものだ。しかし、本書は頓着も配慮もなしに、これでもかと(失敗していようとも結局は)成功した事例を並べ立てる。確かに、このような臆面もない文章について、「しかし、これまでに夥しい数の人々がチャレンジを繰り返して、その大半は失敗に終わり、あるいは端的に言って死ぬことでチャレンジの機会を失っているのだ。あなたが紹介している事例は、それこそあなたが知らない死屍累々の事例を無視して、あなたが新聞や本を読んで知っているにすぎない、有名で生き残っただけの人たちをつまみあげているだけではないのか」と批評することは簡単だ。それこそ、クリティカル・シンキングなんて勉強する必要もないくらい、ちょっと機転が利けば中学生でも突っ込める議論である。しかし、どうしてそういう愚かな議論に21世紀になっても魅力を感じる人達がいるのか。おそらく、それは storytelling なりイメージ・トレーニングの流行なども考えたら、やはり人々はハッピーエンドの物語を観客として眺めるのが好きなのだ。それだけでも、この世界はチンピラや政治家や金融屋やカルト教団だけのものではなく、要するにクズ野郎どもだけが得をするようにできているわけでもないのだと安堵できる。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook