Scribble at 2024-10-09 09:40:58 Last modified: 2024-10-09 11:01:45

松尾理也氏の『ルート66をゆく ― アメリカの「保守」を訪ねて』(新潮新書、2006)に、こういうくだりがある。松尾氏は、アメリカ通として知られる人物から、次のような質問をされた。昔のアメリカは共和党が北部の資本家が支持する党で、民主党は南部の農場主が支持する党だった。しかし現在は共和党が南部の支持を得て、民主党は北部の支持を得ている。どうしてこういう逆転が生じたのか。返答に窮していると、その人物は、実はアメリカ人にもよく分からないのだという。だから、日本人が分からなくても恥ずかしがることはないのだそうな。

僕は、もちろんこういう会話にはいささか疑問がある。現地で生活していない人間には、もちろん現地の色々なことが分からない。それは事実だろう。しかしながら、現地にいないから分からないことというのは、(1) 海外の人間がアメリカを理解するにあたって重要でもなんでもない、どうでもよい些末な習俗や情報にすぎないか、(2) アメリカ人自身ですら、他の住人や地域を理解するにあたって重要でもなんでもない、どうでもよい些末な習俗や情報にすぎない、という可能性があるからだ。とかく、「事情通」のようなオタク的と言ってもいい表面的な情報量だけの優劣を求めがちな日本の東大暗記小僧を頂点とした愚かな人々は、アメリカについて何事かを知っているということに重点を置く傾向があり、それはつまり思考力が必要ないからなのだ。単純に覚えるだけで済むから、理解したり考察する必要がないので、そういうクイズ的な知識の量にばかりこだわるし、そういう基準だけが物事の是非を決める唯一の基準であるかのような theme-setting やアンカリングといった認知バイアスを巧みに利用するわけである。

しかし、われわれ哲学者は、そんな幼稚園レベルの critical thinking やコールド・リーディングなどに騙されたりはしない。しかるべき情報をもち、そしてアメリカの歴史について或るていどの素養を得て正確な思考や議論を積むことにより、唯一のではなくても説得力のある所見というものに達するであろうと思う。したがって、「アメリカ人にも分からないのだから、われわれにも分からないのだ」などというセリフは、正確に表現するなら「アメリカの凡人にも分からないのだから、われわれ凡人にも分からないのだ」とか、「アメリカの無教養な人々にも分からないのだから、われわれ無教養な日本人にも分からないのだ」と言い換えるべきであろう。だが、そういう自虐的なことを言いたくない方々にしてみれば、それを「アメリカ人」とか「われわれ」と言うだけで済ませることにより、自分たちが無知無教養であることを隠したいという心情があるのは分かる。それが凡人の本能みたいなものだからだ。

とは言え、日本ではアメリカの共和党と民主党の区別に混乱があるのも確かであり、そしてその原因が、彼ら「事情通」を気取ってアメリカの色々な本を書いている物書きや官僚、それからマスコミの人々であることは明白だ。したがって、上のような会話は日本人にとってのアメリカの分からなさを作り出している原因が自分たち自身の無知無教養ゆえであるという事実も誤魔化しているわけで、まことに不愉快な会話でもある。

しかし、いまやアメリカのメディアへ直にアクセスできる時代になってから四半世紀以上が経過しており、既に高校生ですらかような無知無教養を脱している人はいることだろう。そして、アメリカで交わされている議論を直に受け取れる状況においては、たとえば共和党が自主独立とか個人主義とか政府に干渉されない自由などを尊び、民主党が共同体主義的な志向をもっていて互助的な発想を尊び、公共政策による富の再分配や福祉・公教育の充実を叫んでいることをただちに知ることだろう。すると、各地域の産業や政治的な力関係によって資本家がどちらの政党を支持するかは条件によるだろうし、日本で言うところの「左翼」とか「右翼」がどちらに近いかは、一概に言えないこともすぐに理解できるであろう。日本の自民党なんて、言わばアメリカの共和党や民主党が言っていることと似たようなことをどちらでも言う傾向があるわけで(よく、自民党は内部に与野党のような対立があったりハト派とタカ派がいるので、自民党内が二大政党制になっていると言われたりする)、日本の右や左、反動と革新、保守とリベラルといった対立軸で理解することは難しいばかりか危険でもある。そして、実はアメリカ人の中でも分からない人が多い一つの理由は、アメリカという国についての理解が浅い移民や教育程度の低いアメリカ人は、日本人と似たような対立軸を抱えてしまっているのだ。したがって、留学した人々の回顧録などによくある逸話だと思うが、リベラルな人が多いと思っていた西海岸や東海岸の「リベラル」を自称するアメリカ人の多くが、実はそうとうな差別主義者であり、一定の話題については確かに「リベラル」な意見を持っているが、他のこと、たとえば英語をうまく話せない人にはあからさまな差別的態度を見せたりするという事実があるのだ。しかし、そんなことはどこの国でもあることだし、彼らもまた凡人であるからには、あらゆる話題について首尾一貫した態度をとる責任や義務やインセンティブなんてないのだから、彼ら自身がそうありたいと思い焦がれているリベラル像にしか合致しようとしないのは当たり前である。それを、学者のような観点で偏っているなどと非難する権利は、基本的に誰にもない。

というわけで、自由独立という精神を優先して尊ぶ人が多かった時代には、共和党が奴隷解放を進んで提案していたとしても不思議はないわけであり、民主党が共同体主義的な価値観をこそ尊ぶ時代にあっては、先祖からの伝統である奴隷制を含めた生活様態を維持したいと思ったとしても不思議はないわけである。しかし、日本では「自由独立」も「伝統」も自民党のスローガンに含まれるような語句であるため、日本の基準だとわかりにくいというだけのことであろう。

ちなみにだが、この松尾氏の『ルート66をゆく ― アメリカの「保守」を訪ねて』という本は、実はルート66という道路や沿線の習俗などは殆ど関係のない話ばかり書いていて、要するに「意味はともかく『保守』という政治的スタンスにも言い分はある」というメッセージをアメリカの紀行文というスタイルで間接的に押し付けているだけの、はっきり言って愚にもつかないエッセイである。ルート66について何か知りたい方はもちろん読む必要などまったくないし、アメリカの習俗なり政治的な議論について知りたい方にとっても参考になるようなことは殆どない。このていどの情報ならオンラインで現地の新聞や地元の人々が書くブログ記事などを読めば、はるかに詳細で正確な情報が手に入るし、それらの解釈についても、しょせんは学識に欠ける日本の新聞記者のレベルでしかない。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る