Scribble at 2024-10-09 13:33:38 Last modified: 2024-10-09 14:05:15

特に企業での業務を想定した場合に、「実務」という言葉の意味合いが使う人や状況によって異なるという事実は、何を評価したり理解する場合でも常に強調しておくべき制約条件あるいは留保条件だと言ってよい。とりわけ、企業の業務に関連する書籍を評価する場合には、レビューを書いたり会社で論評する人々だけではなく、レビューを読んだり論評を聞かされる人々も、こういう事実に留意することが望ましい。特に、法律関連の著作物についてのレビューについては、よく注意してもらいたい。

こういう事実を敢えて強調するのは、やはりアマゾンで実定法のテキストに加えられたレビューの多くが、ほぼ全てと言ってよいくらい、自分勝手な基準で「実務」という言葉を使っているからだ。そして、その上で「実務向けではない」だの「実務に向かない」だのと好き勝手なことを書いている。しかし、どれほど公正に評価できているかは疑問の余地があるかもしれないが、僕の見立てでは、そういうコメントを付けて書籍に低い評価を与えている大半のレビューは、評者の見識や経験という未熟な基準で「実務」という言葉を錦の御旗でもあるかのように振り回している。つまりは、よく学者の議論や結論に対して教養のない人々が口にするフレーズ、やれ「空論」だの「思弁」だの「理屈」だの「学者の議論」だの「地に足が付いていない」だの「庶民感覚に欠ける」だのと、自分が気に入らない、あるいは理解不能な議論を単に罵倒するための言葉を投げつけるのと同じだ。

学術書に対して「学者の理屈だ」などと愚かな批評を言うほどの馬鹿はいないとしても、実定法の解説書については、それなりの大学を出ている人物でも、よく考えもせずに「実務向け」であることが学術的な議論としての正確さよりも重要であると思い込みがちである。そして、自分が理解できないだけだという事実を軽視したり無視したいのが凡人というものなので、そういう点を差し引いて理解できなかった原因を著者の無能に帰してしまう。これは、或る意味では反知性主義のヴァリエーションとも言えるわけなので、僕のような「コミットメント型の権威主義」を支持するような者からすれば、権威を無視する不当な態度だということになる。われわれ読者というものは、原則として著者よりもものを知らないか知性において劣っているという前提でまずは接するべきなのであって、著者よりも優れているという立場で、書かれたものを正確に理解できたり正当に評価できるという思い込みを捨てるところから読書を始めなくてはいけない。「庶民感覚」だの「お茶の間の正義」だの「素人の意見」だの「市民の本音」だのを基準にして本を理解したり評価してよいなら、最初から正しい基準や理解力を備えている筈の読者が、どうして本など読む必要があろうか。われわれは無知や限界を自覚するからこそ調べたり学ぶのである。

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