Scribble at 2021-01-04 23:08:47 Last modified: unmodified

原則から何も差し引きせずにシンプルに考えてみて、これだけ多種多様な英語の参考書や読み物が発売され、ということはつまり新しい学習スタイルや手法が(是非はともかくとして)考案されているというのにもかかわらず、いつまで経っても多くの人が英語を苦にしている。これはつまり、どう考えても教科書や参考書の殆どが何かを決定的に間違えて書かれているからだと考えるよりも、寧ろ逆に考える方が自然だし、どう考えてもシンプルだと思うのだ。要するに、本など買っても大半の人が〈勉強していない〉こと。このシンプルな理屈の他に何が言えるというのだろうか。

いちおう進学校と言われる初等・中等教育機関で12年間を過ごした経験から言って、そもそも勉強するために理屈や理由や言い訳や正当化が必要な人間などいない。生徒として学校に通っているという事実だけで、ただちにやるべきことは一つに決まるのだ。それを何らかの理由を別に立てて拒否したり否定することはできるし、実際に僕はそれをやって殆どの教科が出席日数の足りない赤点となった。卒業できたのは、レポートを提出したり、休暇期間に教師とマン・ツー・マンでテニスを続けたりした結果でしかない。その逆に、勉強している大半の同級生に、勉強している理由などいちいち聞かないし、彼らも自分自身の希望とか目標は、外務省に入るだの、親の病院経営を継ぐだのと言えるが、いまそこで100個の英単語を覚える直接の理由でないことくらいは知っている。そこでいま勉強するのは、単に勉強することになっているからというだけのことだ。

勉強というものは、それこそ否定的によく形容されることだが、ロボットのようにタスクをこなして事項を覚えたり、所定の手続きで計算したり論説を書けるように訓練することだ。これらが総じて何かの役に立つと信じて続けていることに違いはないが、個々のタスクをこなすことにいちいち理由や正当化など不要である。そんなことを各々の機会に考えなければトレーニングやタスクを始められないなどということは、およそ「生徒」としての基本的なコンピテンシーが欠落しているということになろう。

逆に言えば、何かの勉強をして一定の知識なり技能を身につけたいのであれば、最も大切なポイントは(どこかの予備校教師のフレーズと同じように思えるが)四の五の言わずにやるべきことを直ちに始めることである。「やるなら、いまでしょう!」それしかないのだ。

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