Scribble at 2021-01-06 00:35:49 Last modified: 2021-01-06 11:58:51

国勢なり国政の自制が効かなくなるというのは、非常に恐ろしいことだ。例えば、ロシアではジャーナリストや政治家の反体制派とされる人々が暗殺されていると言われているようだが、実際には目立つ人々だけでなく、ひっそりと色々な人達が暗殺されていると思う。北朝鮮は言うに及ばず、中国でも人権派の弁護士や社会活動家が適当な理由で逮捕されては、拷問なり拘置所での酷い扱いで、廃人になったり精神に異常を起こしたりといった事例が何度かテレビの報道番組で紹介されているわけだが、たまたま日本のマスコミに分かっている事例の数だけで実態を語るわけにはいかない。

こういうことを、いわゆる国際社会とか国連系の組織などの勧告や非難などお構いないしに堂々とやれてしまうようになると、もうそういう国へは旅行へ行く気にもなれないし、どれほど過去の実績として優れた芸術作品や著作があろうと、その土地へ実際に現代の状況下で行ってみたいとは思えなくなる。外国からの観光客が、そのような国で安全に行動できる保証などないからだ。いつ何時、空港で「スパイ容疑」だの「情報の違法な国外持ち出し」だのと引き止められるか、分かったものではない。そして、タガが外れた国というものは、どれほど相手の国が公式に外交官を通じて抗議しようと、平気で他国民を拘束したり殺すかもしれないのである。

そして、同じことは自分が生まれ育った国でも起きる可能性がある。昨日まで愛想よく挨拶を交わしていた駐在所の警察官が、翌日には警棒を片手に振り回しながら街を闊歩し始めない保証など無い。実際、オンラインでは似たようなことを無知無教養な「自称愛国者」とか「リベラル派」といった連中が好き勝手にやっているではないか。イデオロギーとして右であれ左であれ、あるいは何のためにやるかにも関わらず、こうした噴き上がりどもは簡単に考えを変える。そして、関東大震災での東京人が実例となっているように、一般人でも簡単に人殺しをする。あのとき中国人や朝鮮人を虐殺した人間のクズどもは、別にヤクザでもチンピラでも現代のネトウヨ親父でもなく、昨日までは会社へ出勤していたサラリーマンだったり、子供の弁当に海苔で熊を描いていたような主婦だったのだ。

もちろん、ただの厭世観や人間不信を表明しているわけではなく、或る条件では〈信用できるフェイズ〉というものもある。しかし、生まれてから死ぬまで信用に値する人間とか、生まれてから死ぬまで信用に値しない人間など存在しないのであって、人は幾らでも条件によって考えを変えたり、飼い犬の死に涙する一方で自分の子供でも虐待して殺すような人はいるのだ。そして、それは我々が能力として徹底的に凡庸で有限であるからに他ならない。それは、もちろん人の弱さでもあるが、しかし過ちを認めて改めるチャンスにもなるわけであり、一概に首尾一貫した考えを保ち続けることだけを尊ぶべきではないだろう。しかし、何をできるだけ維持して何を場合によっては変えてもよいとするべきかは、古来より幾人もの人々が提案しつつ満足のゆく方針がない。

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