Scribble at 2021-01-03 10:19:33 Last modified: unmodified

昨日、一都三県が国に要請した緊急事態宣言は「検討する」と返答されただけで話が進んでいない。オンラインでは「緑のタヌキ」(都知事の服装から)のパフォーマンスだと言っている〈経済ブン回し論者〉もいるようだが(リバタリアンと言えるほどの思想として言ってるかどうかは不明。ただの大阪維新関係者の可能性もある)、パフォーマンスも何も、この手の話は国と地方自治体で責任の押し付け合いをしてるだけだ。休業要請を発したところが悪影響を補償するための財源を負うなんて理屈がある限り、誰も自ら進んで休業要請なんてやろうとはしなくなる。

それから、ぶっちゃけオリンピックなんてやろうとやるまいと、既に箱物やインフラの建設に金を大量につぎ込んでりゃ政治家なんて連中は各種業界(と裏社会)に顔は立つわけで、国民の命とオリンピックを計りにかけてるなんて非難も的を外している。よく金魚のフンみたいな小物をしたがえて記者会見してる二階幹事長が観光族だと言われていて、パンデミック対策が常に後手に回ってる元凶だと言われているけれど、もし観光産業の事情だけで国全体に影響のある決定をしているなら、そんな利害関係は簡単に発見される。いかに政治家がバカでも、ノーガード戦法を採ったところで売上が戻らないのは自明だと分かっているだろう。例の Go To なんとかをやってすら、会食や旅行なんてこの時期に行くわけないという人は数多くいるわけで、そういう人たちに会食だの旅行を逆に強制するわけにもいくまい。よって、政府が何をやろうと、実情としてあからさまなリスクがある限り、旅行、運輸、外食、娯楽といった産業のパフォーマンスは必ず下がるし、一定の事業者が立ち行かなくなるのは避けられないのだ。よって、寧ろ Go To なんとかの方が各種業界のことを考えていると称するパフォーマンスなのであろう。

同じ議論は、池田信夫君が教育などの論点で常に持ち出す「バウチャー」にも当てはまる。目的を固定したチケットをばらまいたくらいで人が大学へ行ったり旅行へ行くだろうなどいう理屈は、単細胞なエージェントを想定したモデルにしがみつく経済オタクによくある幻想だ。ともかく金が儲かるとか安く手に入るという動機づけを与えたら、人はこれこれを実行するだろうなどといった「インセンティブ」だけで経済を語る、安物の行動経済学を振り回す段階は既に終わっているのだ。当然ながら、誰でも複数の条件や与件を考慮して自分の予定なり方針を決める。対岸まで 1 km の距離がある、サメがうようよ泳いでいる海を、たどり着いたら 100 万円もらえるからといって、誰もが海へ飛び込むだろうと考えるのは「子供」ですらない。平時であることを固定すればいいなどと言うのは、人にとってパンデミックだろうと不況だろうと何が〈平常な生活の基準〉であるかを断定する論点先取でしかない。

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