Scribble at 2024-05-18 23:01:50 Last modified: 2024-05-19 18:30:05

添付画像

県立高校から独学でハーバード大学に進学、廣津留すみれさんの高校時代「TODOリストを着実に」

この、バイオリニストを目指すお嬢さんに文句はない。単に、これからも頑張ってくれというだけだ。でも、こういう取材をしている新聞社には、やはりはっきりと苦言を述べておきたい。

ともかく、日本の全国紙って、この手の話が昔から本当に好きだよね。少なくとも、僕がアクセスしているアメリカやイギリスやフランスやドイツの主要な全国紙で、こういう話題を取り上げてるところは一つもないよ。だって当たり前じゃん。ジュリアーニに入学したとか、ハーヴァードに入学したって、それ実績か? このお嬢ちゃんがハーヴァードに入学したことで、ガザ地区の人々が救われたりロシアがウクライナから撤退するのかよ。少なくとも、ハーヴァードでそうしたテーマについて優れた論文を書いてどこかの政治家に影響を与えたとか、そういう実績を打ち立てたら報道に値するだろうけど、有名な大学に入学しましたとか、そんなことで騒ぐのは、それこそ東大や慶応に入ったら人生設計の9割が完了したとか思い込んでる都内の教育ママくらいじゃないの。

それから、元音楽雑誌の編集者として言わせてもらえば、音楽、とりわけクラシックの世界では、ほぼ毎年のように「天才」が登場するのよ(笑)。それがセールス文句になるからだ。でも、それからカラヤンとかマゼールとかアルゲリッチとかスターンのように真の巨大な業績を打ち立てる人は、ごく一部だ。気の毒だけど、小澤征爾氏ですら知らないクラシック・ファンだって多い。いや海外の人物でも、僕が編集者をやってた頃の「天才」と言えばジョシュア・ベル君だったけど、きみら名前も知らんだろ。そら、いま何やってるかも分からない元天才の名前なんて、いちいち覚えてる人なんかいない。やはり名前が残るのは、それに値する業績を打ち立てたからであって、まだ何にもやってない学生に何かを学ぶとか、そんな程度の低い(そして志も低いと思う)関心しか無いから、だめなんだよ。結局は。彼女が言えるのは、せいぜいハーヴァードに自分が入った経験談にすぎない。でも、真にわれわれが学ぶべきは(仮に他人の経験談ていどに何か学ぶべきことがあるとしての話だが)有名大学に入るためのコツなんかじゃないはずなんだよね。

この手の連中がせっせとインタビューしてかき集めてる経験談なんてのは、大リーグで言えば 3A の選手になるためのコツみたいなものだ。そんなもん、新聞や雑誌の記事にしてもアメリカ人は子供ですら誰も読まないわけで、やっぱり大谷翔平の話を読みたいと思うだろう。

日本の、全国紙レベルですらマスコミ関係者に見受ける、こういう程度の低さというものは、もちろんこれまでも何度か書いてきたことだが、その原因の一つは新聞社に勤めている人々の、はっきり言えば低学歴が原因だ。海外のマスコミなんて、博士号をもってるスタッフが全ての部署(日本の総務や経理に相当する部署だろうと)にいてもおかしくないし、原稿を作ったり番組や紙面を編集している部署に博士号をもってる人間がいないなんて、日本のマスコミくらいだろうと思う。結局、日本の報道機関やマス・メディアなんてのは、いまだに瓦版をバラ撒いていた(こういっては気の毒だが、賤業だった)江戸時代から殆ど変わっていない。

こういう、無知無教養な連中によくあるのが、ご都合主義だ。ダブル・スタンダードと言ってもいいし、ときとして彼ら自身が「時代に寄り添う」だの何のと電通や博報堂のコピーライターと一緒に美辞麗句で自己正当化することさえある。しかし、その基本にあるのは、やはりものを(体系的に)知らず関心すら無いという事実に立脚した、はっきり言えば彼らが報道しようとしている一般大衆の多くよりも、その報道内容について判断するための教養がないという倒錯である。

すると、たとえば上記のような事案においては、ハーヴァードに入学するという、実はていどの低い目標を勝手に(それこそ、このお嬢さん自身から見ても低いと思える目標を)設定し、そしてそこまでの苦労話だけで人を評価したり賞賛する。つまりは彼女がこれからどういう業績を打ち立てるのか、あるいは何もできなかった、ハーヴァードにいくらでもいる秀才の一人として終わるのかには関係なく、ともかく「がんばった」ということだけで何事かを高く評価するために、人の事績を評価するにあたってのハードルを勝手に下げるわけである。

よって、このように評価の基準が不当に低い国においては、海外ではありえないようなこと、たとえば週刊誌で東大にどこの高校から何人が入学したといった、もちろんいまではそんな情報を得ること事態が個人情報保護法違反だが、たかだか大学へ入学するていどのことを若者の最大目標であるかのように勝手に設定するとともに、そこまでの苦労話をあれこれと取材したり、「愛息を東大へ入れて勝利を掴むための母親の心得」みたいな本を続々と出版するわけである。

もし、上記のような事案について、制度的な教育課程だけを盲信する必要はないとか、常識的な進路だけが全てではないといったシグナリングを意図して取材したり原稿を書いているなら、もちろんハーヴァードへ入学したという人物だけを取り上げる必要はない。そういう価値観の相対性や状況依存という事実を指摘して人々の考え方に何か影響を与えたいのであれば、寧ろハーヴァードへ入学したといった、常識的な成功話の実例を一つ増やすだけではインパクトに欠けるであろう。実際、既に少なからぬ人々は知っているように、ハーヴァードに入っただの出ただのと言っても、それだけでは全く不十分なのである。17歳でイリノイ大学へ飛び級で入ったという、上のお嬢さんとは比較にならないような天才であろうと、日本で芸人となり、下らない金儲けの本を売りまくっているだけというあからさまな実例も、多くの人は同時に知っているからだ。なんだっけ、みじん切りなんとかジェイソンとか言ったな。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook