Scribble at 2024-05-19 10:48:14 Last modified: 2024-05-19 18:24:55

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“インプレゾンビ” やめました

日本と海外のマスコミを比較するという話の続きで言うと、上記のような話題は海外の新聞サイトでも取り上げることがあるし、ニューズ番組でもトピックとして取り上げることはある。でも、やはりこういう話題を競って取り上げる「層」というものが決まっていて、必ずしも階級差別や学歴差別なんかと連動しているわけではないけれど、緩やかな階層として現にあるんだよね。日本でも、全国紙に比べてスポーツ新聞というのは、ありていに言えば低俗でクズみたいな連中が書いて読んでるわけじゃん。家庭に配られる版では削られてるけど、キヨスクで売ってる版には、それなりにエゲツナイ風俗の記事がたくさんあるし、中にはエロ漫画を掲載しているものすらある。これは自慢でもなんでもないが、僕はスポーツ新聞を自分の手で、お金で、買ったことは一度もない。

ともあれ、上の記事みたいな、はっきり言って針小棒大としか言いようがないクズみたいな記事というのは、本来なら NHK が報じるようなことではないし、地方版ですら報じるようなものではない。よって、公共放送の編集スタッフですら、自分たちが「視聴者のニーズ」なるものに応えているという妄想に根拠もなく依存して、単純にジャーナリズムやマスコミュニケーションの担い手として堕落しているという自覚がないということが分かる。

話を戻すと、このように針小棒大な話題は、まさしく針小棒大な話題をいちいち取り上げて喜んでいるようなレベルや層の媒体で競争するほうがよいし、おおむね他の先進国ではそうなっている。だが、日本では全国紙のレベルで、こんな針小棒大な話を競って取材したり掲載しているのだから、要するに話題の重要性やインパクトについての判断基準が、新聞を読んだりテレビを観ている側でも「国内マスコミ的な基準」になってしまうのだ。そして、彼らがマスコミ的な基準で喜ぶ記事や番組を、マスコミ自身が取材したり制作して、発行したり放映するという悪循環が続く。そして、そういうところから(仮にこう表現しておくが)「上の階層」にあたる媒体がない。というか、その階層は学術研究者や各分野の専門家が読んだり観るような媒体になってしまう。このような状況になると、他の国では政治や文化や経済についてはジャーナリストと学者が同じ階層の媒体で議論を交わすのに対して、日本ではジャーナリストと議論を交わす相手として文化芸人としての無能な学者が相手をするようになる。よって、学術的な水準としても読み手のリテラシーがぜんぜん向上しないわけである。全国紙や NHK のような階層の媒体であっても、勉強不足のジャーナリストと、無能な学者の対話しか掲載されないからだ。

僕のような、海外のマスコミやジャーナリズムという基準を保守するような権威主義者の観点で言えば、日本のマスコミやジャーナリズムがやっていることは、朝日だろうと産経だろうと、しょせんは各分野の素養どころかジャーナリストとしてすら未熟な人々による、「民主的」とか「公平」とか「平等」とか「自由」という概念の曲解、無理解、そして濫用にもとづく、デタラメでしかない。もちろん、たいていのバカでも1+1が2であることくらいは計算できるように、全国紙の記者でも警視庁が発表した原稿を写経するていどの知能はある。よって、新聞やテレビを完全に無視すればいいとか、「宅では娘にテレビなんて観せておりませんの、オホホホホホホホホホホホホ」などと言っているような都内の田舎インテリもバカの一人に加えて良い。しかし、そうは言っても、この国のマスメディアはかなり酷いという事実は変わらない。

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