Scribble at 2022-03-04 12:23:26 Last modified: 2022-03-04 20:10:23

もうそろそろ哲学のプロパーが誰か Twitter やブログにでも軽く書いてるのかと思ったけど、それほど関心もないらしいので、代わりに書いておこう。簡単に言って、日本どころか世界中の大学や通俗本で続々とばらまかれている critical thinking に関するイージーな解説の大多数は、要するに揚げ足取りにすぎないわけだよ。「それは生存バイアスだ」と欠点や不足を見つけるのは結構だが、そこで「生存バイアス」だと指摘して、それがいったい何なのか。だから何? 或る議論が「生存バイアス」だと指摘すれば、何かのポイントが加算されたり、東大の大学院へ進学しやすくなったり、あるいはどこかの編集者がオンラインで見つけて声をかけてくれて哲学史の通俗本を執筆させてくれたりするのかね。

そんなことをいくら繰り返してみても、役には立たない。その証拠が、いまの世界情勢だと言っても言い過ぎではなかろう。この40年以上にわたってアメリカの多くの大学では初年度にメディア・リテラシーや critical thinking の講座を開いて、それこそ数多くの若者が何とか効果だのかんとかバイアスだのと〈やらかしパターン〉を覚えこんできただろう。そして、そうした若者たちが(留学生も含めて)多くの国の政府職員や官僚や政治家や企業経営者や法律家になっている。でも、どこかの国が隣国に攻め込む事態を止められなかったどころか、有効な説得や交渉すら何もできていないではないか。要するに、(物理的な意味だけでなく、知的な意味でも)ぶん殴ってくる相手に対して「それはきみ、なんとかバイアスだよ」などと言ったところで、牽制にはならないわけである。

自分が〈違う〉とか〈間違っている〉と思う相手には、きちんと自分なりの alternatives を掲げて実際にぶつけて見せないことには、そのパワーを相手に納得させることはできない。学者であれば、どこか見知らぬ大学の紀要にエッセイを掲載したり、あるいはてめーが豪邸の一室で書き溜めてる日記に残すだけで満足しているのでは、やはり職責を果たしているとは言えない。それどころか、あとは子孫や弟子が岩波書店や筑摩書房から回顧録や「誰それ全集」などを出して、実はこれだけの〈真理〉や〈深み〉に到達していたのだった、などと称賛してもらうことを願ってるなんてのは、はっきり言って致命的な自己欺瞞だし、アニメおたくの転生願望にも劣るような自意識プレイだ。

実務家、いわんや学者なら、ちゃんと生きてるあいだにクズみたいなことを言ってるやつとは戦え。そして、数理論理学をまじめに自分自身へ活用している人なら誰でも知っているように、記号論理は alternatives を導き出してはくれない。なぜなら、それを導出するための仮定を記号論理は(他の推論で導出された帰結として既に手持ちの道具としているわけでもない以上)教えてくれないからである。こんなのは高校の数Iで教わる「集合と論理」といった単元をまじめに勉強した子供でも分かってることだ。

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