Scribble at 2022-10-19 10:42:38 Last modified: unmodified

企業の中にいる人間、しかもバック・オフィスで従事しているという事情からのバイアスがかかっているのかもしれないが、そもそも事業継続性とか安定という見通しもなくて、月賦払いとかローンとか保険なんて仕組みが成立するわけもないし、そういうリース事業や保険事業としても継続できるわけないんだから、こういうことを軽々に否定して場当たり的な投資や施策変更や新規事業などを「イノベーション」だの「クリエーティブ」だのと称して、経営コンサルや経済学者として推奨するのは無責任だと思うんだよね。なんでこうも多くの起業家や経営者がリバタリアンの「カウボーイ投資」と言ってもいいバカ話に騙されるのか。

企業経営の本懐は組織の維持を含めたサービスの安定した提供にあり、成長なんかではなく継続・維持が優先するに決まっている。これを、素人臭い生物学の理解を引き合いに出して否定しようとする人々もいるわけだけど、環境の変化に適応するというのは、必ずしも彼らが妄想してるような「進化」によってしか為しえないことではない。あれこれと外部環境が変化しても、「日本」と呼ばれている東アジアの辺境地帯にある国家が、簡単には官僚社会主義体制から資本主義体制に移行していないのと同じことである。それでもどうにか外部環境の変化に適応して、国家として財政がディフォールトしているわけでもなければ、IMF の援助を受けているわけでもないのを知っているなら、そういう「進化」なんてそう頻繁に起きることでもなければ、果たして文化とか社会体制について、昨今の流行である文化進化論のような(僕には過去のポモと同じくそうとしか思えないが)作り話が妥当かどうかも怪しいと思う。

ついでに、科学哲学者として言わせてもらえば、僕はしばしば科学哲学の教科書でもお目にかかる「科学革命」という表現なり観念が、元考古学少年としても大嫌いである。何らかの状況において、或る閾値を超えるメルクマールだったと後世から解釈されたり評価される出来事とか人物はいるのだろう。でも、物事がそんな単純な話で理解できたり実際に変化するわけでもないという明白な事実を同時に説明するのが歴史学なかんずく科学史の責務でもあろう。「弥生人」は急に農耕を始めたわけでもないし、「古墳時代」の人々は急に古墳を作り出したわけでもない。それは、僕らが昨日の夕方にヨドバシカメラで購入したコンピュータを初めて使うような事例とは別の話である。

それから、企業経営の目標を成長だとする多くの意見は、株価として上昇しなければ得がないという投資家の利益に偏向した、要するに上場企業をモデルとして企業経営を考えたり語るような偏見にすぎない。投資した見返りが更に大きくなければ投資するだけの意味がないからだ。しかし、投資した金で生活できなくなるような人は投資家になったりしないのだから、それら投資の資金は、しょせんもともとが(日本の投資家の大半もそうであるように)自分の生活とは関係のない遊び金である。ゆえに、株式投資はしばしば成金の遊びとかギャンブルだと言われるし、実際に NHK や政府が推奨している貯蓄から投資への移行を促す相手の多くは、そういう遊び金を持っている成金であり、大多数の非正規雇用の人々や僕らのような貧乏人を含む国民は眼中にないわけである。NISA どころか、マイナンバー・カードと社会保険カードを連携したボーナスをもらうためだけに2万円分の買い物をするムダ金すら、大半の国民は持っていないのである。

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