Scribble at 2021-11-29 08:14:08 Last modified: 2021-11-29 08:35:57

昨日は、本を2冊手放した。一冊は図書館から借りていたギンタスの『ゲーム理論による社会科学の統合』で、これは借りてもすぐに次の予約が入る人気の著作だ。アマゾンでも高額で古本が販売されていて、余計に図書館で借りる人が増えるのだろう。二週間でこれだけを読んでいるわけではないから、少しずつだと借りては返すたびに内容を忘れてしまうので、次からは丁寧にノートを取っていこうと思うのだけれど、中身が信用できることは翻訳でも十分に分かったのだから、もっと安く売っている原書を買う方がいいような気もする(原書だと、国内の業者から2,000円前後で買える)。

ということで、昨日は図書館の返却期限だったため、大阪市が運営するサイトで延長の手続きをしたのだが、この一冊だけ次の予約が入っていた。予約している人に大きな迷惑をかけるのは、同じく公共の資産を共有する一人として恥ずべきことでもある。そこで、夜の21時を過ぎていたが、近い(実は直線距離だと更に近い市立図書館はあるのだが、行き慣れているので)図書館まで歩いて往復し本を返却してきた。それにしても、このところ週に1度の出社日でもない限り、近くのスーパーへ買い物へ行ったり、2週間ごとに実家で父親と食事するくらいの用事でしか外出しないせいで、たかだか数キロメートルを歩くだけで疲れる。寧ろ、帰り道の方が慣れてきて軽快に歩けたほどだった。これはいかにもよくない傾向だ。自宅にこもって、パソコンやタブレットなんて我々の知性の足元にも及ばないガラクタを弄くり回しているだけでは、知的にも体力としても衰えてしまう。せめて出社するときは、せっせと歩こう。

さて二冊目は、佐伯啓思『死と生』(新潮新書、2013)だ。もちろん PHILSCI.INFO で公開している論説の参考にでもしようと思って買っておいたのを手にとったのだが、冒頭の何節かに目を通して感じたとおり、やはり国内だけで評価されているような「知の巨人」だの「思想家」が書くものは、しょせん出版社のイデオロギーをさまざまな分野で色々な話題に展開してくれる〈ロボット物書き〉どもの出力文字列にすぎないという印象が強い。実際、こんな内容の本は新潮社か扶桑社、あるいは単純に言って他の保守反動系の出版社からしか出ないだろう。敢えて混同させるよう尊厳死とからませて、日本人たるもの自ら積極的に死ぬのが潔いとすら示唆しているのだ(自死が他人に迷惑をかけない死に方だなんて、なんて無知なんだろうか。捜索したり死体を川から引き上げたり検死したり、この手の連中の自殺というものは家族のことしか考えておらず、全くの赤の他人である行政職員にかける迷惑はどうでもいいのか。死に際してすら愚劣な連中だな)。「転生」だ「人生のリセマラ」だという観念で、すっとこどっこいの輪廻思想に侵された若者などへの(悪)影響はいかほどだろうか。日本の読書家と称する連中にも多い傾向だが、この手の印象批評や自意識系のエッセイを「思想書」だと錯覚するのは、要するに自分たちもこうしたイージーな読み物を書ける、そして自分たちもいつかはブログ記事でも書いて出版社に見い出されたいという欲求がどこかにあるからなのだと思う。佐伯氏を始めとする日本の物書きというのは、そういう無能な凡人のヒーローでありロール・モデルなのだ。左翼がイージーに抱く〈超人〉モデルに対して、右翼がこうした〈凡人〉モデルを抱いているという理解は、歪んだしかたでお互いに逆向きの指向を抱えることもある。それゆえ、左翼は社会的弱者を逆向きのヒーローにしたがり、右翼はやんごとなき方々を自分たちの観念の生贄にしてきたのだ。正直なところ、左翼による社会的弱者のヒーロー扱いや、右翼による歪んだ天皇制崇拝は、どちらも僕の理解では〈ルサンチマン〉や〈観念の生贄〉という点で一致しており、僕はこれを高校時代からずっと言ってきたのだが、どうも分からない人が多いらしい。

僕は、もう21世紀にもなって「死を直視してこそ生がある」式の、もはやセンチメンタルと言ってもいい類の議論を読むつもりはない。そういう著作物は、既に探せば古今東西の古典にいくらでも見いだせるし、調べれば分かることだが既に山ほど語られてきている。こうした新書の類でイージーに死生観を知ろうとか考えようと思う人達だけが、このような薄い著作で初めて知ることになるため、何か重要な事を書いているかのように錯覚するだけのことでしかない。単純に、そういう読者は勉強不足なのだ。そういう、小学生にでも分かる明明白白な事実にさらされるのは、もちろん僕にも数多くの経験があるから、大人として恥じるべきことだというのは分かるし、何か恐ろしい予感すら抱くのも分かる。しかし、これは逃げようもない単純な話なのである。

おまけに、素人に仏教の話を聴かされるいわれはない。そういうわけで、この一冊はメモを取る必要もないので、もう古本屋へ売却する。

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