Scribble at 2023-06-22 22:59:34 Last modified: 2023-06-23 09:44:27

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河内どんこう120号が出ました‼️ ただ残念なことが、今回が最終号になりました。

昭和50年八尾文化協会が発足して,その季刊誌として44年間発行してきた河内どんこう❣️

時代の流れというか⁉️発足当初は地元企業や多くの市民に支えられてて何とか運営出来ていたのですが、ここ数年協賛企業の広告費が削減され、会員の減少などなど毎年100万円から150万円の赤字が続いていました。役員や編集者も高齢になり、運営もきつくなった事も重なリ、本年3月末,120号を最後に終える事になりました。残念です‼️副理事長として責任を感じて居ます。でも 理事長の判断に従いました。力不足を恥じて居ます‼️誠に申し訳ありません。最後の河内どんこうの写真をアップします。

44年の皆様の歴史は資料として永遠に残ります‼️有難うございました。

八尾文化協会という郷土史や民俗について啓発活動をやっていた団体がなくなったようだ。サイトにアクセスできなくなったので、団体名で検索して Facebook のアカウントを見つけてタイムラインを見ると、上記のような次第であった。考えてもみれば、郷土史とか民俗について調べたり知識を提供している人の典型的な姿というのは、それこそ「古老」という言葉しか思いつかないような高齢者だ。20代の若者が、どこのであれ地元の歴史や民俗の資料なり記録を調べて啓発活動に取り組んでいるなんて、実際には殆どない。

元考古学少年として言わせてもらうが、「歴女」だ「古墳マニア」だと騒いでいるような連中が10年後に何をしていることやら、わかったものではない(同じく、哲学についても似たようなことは言える)。僕は小学校の頃から、精神性から言って同じような人々が、やれ金の何が出たの、邪馬台国がどうしたのと、文字通りの好事家としてしか文化財や歴史に興味がないということは知っていたけれど、それから50年近くが過ぎても結局は同じことの繰り返しである。

でも、僕の恩師の一人である森浩一先生は各地域の地元で調べたり学んでいる人々に期待していたし、それなりの事績ある人々に教えを乞うてもいた。したがってどこかしらに地元の歴史に関心を持つ人が出てくるのかもしれないが、しかし途絶えてしまう可能性だってある。たとえば上記は大阪府八尾市の例だが、さてでは八尾市に一人くらいは歴女だ古墳マニアだ邪馬台国おたくだと名乗っているような人はいるだろう。でも、そういう人が一人しかいなかったら、それはそれで大変なことである。一人でもいればいいが、その一人が有能だとは限らない。

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