2019年10月03日に初出の投稿

Last modified: 2019-10-09

高校課程の数学を勉強しなおしていたときに、現役の頃に使った本を実家から発掘してきただけでなく、自分が使わなかった本も何冊か買って使ってみた。そのために、どういう本がよく使われているかを調べてから買おうと思って受験生向けの情報を掲載しているブログなどで本の解説を読んでいたのだが、少し違和感を覚える説明に気づいた。

僕の理解では、「参考書」というものは教科書で十分に解説できなかったことや高度な話題を盛り込んだり、あるいは或る定理や概念の根拠となる考え方を教科書よりも厳密かつ正確に説明しなおしたり、逆に教科書の記述や学校の授業ではよく分からなかった生徒に向けての補習を目的として(それこそ中学レベルの事項も注釈しながら)丁寧に説明している本だ。いわゆる「チャート式」の白や黄色が典型だと言っていい。こういう本は、要するにアメリカで言うところの "textbook" であり、編集方針は self-contained が原則なので、極端に言えば教科書がなくてもいきなり読めば必要事項を学べるようになっているものだ。

したがって、受験生に向けて書かれているブログでは、たとえば啓林館の『Focus Gold』のような本を「参考書」として紹介しているのだが、あれは僕の理解では「参考書」と呼べるものではない。なぜなら、学ぶべき必要事項が各単元の冒頭で数ページにまとめられているだけであり、その後は続々と問題の解説が続くからだ。あれは、大学課程の本でも同じ分類基準だと思うが、「演習書」である。「問題集」と呼べるほど予備知識が前提で淡々と取り組むべき問題だけが並んでいるわけでもないが、教科書で学んだことがない事項について、ああした本をいきなり読んでも何のことなのか分からないと思う。

この、参考書と演習書の区別は内容のバランスに依存しているだろう。よって、どちらに分類できるかが即答しかねる本もある。長岡亮介さんの『本質の研究』などは参考書に分類できるかもしれないが、問題を解いていく演習の密度が高い項目では、部分として演習書のような体裁になっているところもあると言える(恐らく、そういう個所は「参考書」としては説明が不十分だと言えるかもしれないが、それだけで説明は十分だと言いうる妥当な根拠があれば、分量の不足だけで演習だと決めてしまうわけにもいかないだろう)。それから、矢野健太郎さんの『解法のテクニック』などは明らかに演習書であろうし、『大学への数学』も理論編とされている範囲の記述が項目の羅列に終わっている場合が多く、とても理解を助けたり補足したり厳密に定式化しなおしているとは思えない。正直、『大学への数学』は、僕が既に大学レベルの数学を知っているからなのかもしれないが、僕が言う意味での(しかも高度な)参考書だと思っていたら、少し解説の詳しい演習書にすぎなかったので、かなり失望した。まだ長岡さんの『本質の研究』の方が厳密で明解な解説が充実していると思う。

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