Scribble at 2024-08-22 08:03:01 Last modified: 2024-08-22 08:13:20

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死から考える「人生の価値」、不死が人を幸せにしない理由、日本と諸外国との死生観の違い……医学・哲学・倫理・葬儀・墓・遺品整理・芸術・生物学・霊柩車・死刑制度などの専門家に、死への「正しい接し方」を聞く。

「死」を考える

アマゾンでは品切れになってるほど売れているようだから、ひとまずリンクはしておくが、僕はお勧めしない。昨日、会社の帰りにジュンク堂で見つけて暫く眺めていたが、収められている論説はどれもこれも、結局は「ひとごと」としてしか死を語っていないし、おそらく考えてもいない。まったく切実さが伝わってこない。それこそ、これらの「知識人」などと呼ばれている物書きやスノッブどもによくある、哲学と称する手軽で愚劣な思考実験や、医学的な業務報告や、感想文、あるいは(敢えてこういう表現を使うが)女々しい経験談の寄せ集めだ。

もちろん、ここで自分自身の死について論説を公開しているといった理由だけで、僕が死について彼らを凌駕するような思考や議論を経てものを書いているなどと思っているわけではないが、少なくとも「商品(プロダクト)」としてサラリーマンの視点から考えるだけでも、この本はお金を払って読むには値しない。でも、それだからこそサラリーマンの視点からは、こういう本は確かに売れるんだろうなぁと思う。なぜなら、彼らのように「ひとごと」として死を語るスタンスを維持してもらうほうが、自分自身のこととして考えるという視点がひとりでに欠落することで、自分自身の死について思い巡らすことから多くの人が被る強迫観念や不安から逃れられるからだ。つまり、本書のように「ひとごと」として死を語る本が続々と出て、それらを次から次へと読み漁っている人がいたりするのは、サラリーマンとして消費者心理を考えると理解できる。だから、こういう本の方が売れるのだ。

でも、ここでこのような落書きをわざわざ読んでいる方々であれば、そういう消費者心理でものを考えたり数多くのこうした本に手を出すことは、少なくとも「哲学」ではないというていどの常識はあろう。

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