Scribble at 2025-02-06 16:14:27 Last modified: 2025-02-07 15:19:33
石丸氏によると、候補者の選考は筆記試験や面接など3段階に分けて進める。「被選挙権のない方にも当事者になってもらう」として、16~24歳を対象に「面接官」の募集も呼びかけた。
僕は、こんなことをしても若者が政治に(まともな)関心を持つようになるとは思えない。こういうことを「新しい力」だの「次世代の政治」だのと持て囃すのは勝手だが、こんなパフォーマンス優先の選挙活動で政治家になったやつらなんて、しょせんは「新しい力」ならぬ「新しい癒着」や、あるいは「次世代の政治」どころか「次世代の政治ゴロ」を生み出すだけに終わると思う。現に、現行の政治家や政党への反発というだけで選ばれたり一部のガキの人気を博しているという大阪維新や NHK なんとかかんとかみたいなゴロツキが政界に増えただけじゃあないか。
実際、この石丸なんていう人物ですら、僻地の首長を何年かやったていどの実績だけで、既に自分自身は立候補せずに自分の支配下にある人材を立てようとしており、まるで政界のフィクサー気取りでいるらしい。要するに、public policy の立案についてまともな関心をもつ若者には、そういう連中についてこそ冷静に眺めて距離をとっておかなくてはいけないと言いたいね。もちろん、既存の政治家や政党に対してもだが。
それと念の為言っておくと、この石丸という人物もそうなんだけど、銀行とか保険会社とかコンサルとか官僚とかやってた人というのは、とりわけ旧帝大とかを出てる若造は典型だけど、自分が世の中のことを何でも知ってるかのような錯覚に陥りやすいんだよね。だからこそ、「司馬遼太郎史観」とも言われるような、明治期の国家官僚や大企業の経営者が日本をこれだけの国に成長させる下地を作ったのだというどうしようもない自己欺瞞や錯覚が色々なところで事実のように想定されたり、そういう錯覚を前提にした議論がマスコミで垂れ流されるようになったのだと思う。彼らが色々な制度の下地を整備するのに貢献したのは事実だが、その結果として起きたのは何も高度経済成長やアニメだけではなく、愚かな戦争だったり、近代版の部落差別だったり、実際には大半の現場でありとあらゆる不正が行われていたのに「ものづくり精神」なんていう御託を自己イメージにし続けたインチキ製造業だったりするわけである。彼らが中国や韓国、それから今ではベトナムや台湾にも追いつかれ追い抜かれようとしているのは、何も中国や台湾の技術力や知識が向上したからというだけではなく、明治時代から続いてきた「うわべだけの形式美」というインチキが通用しなくなったからでもあろう。そして、政治の世界でも、いま若者に人気を博している維新であれ石丸新党であれ、あるいはれいわであれ、つまるところ掛け声だけのポピュリズムというのは、なんだかんだ言っても口先だけなのだ。現実に自分たちが当事者として携わると、そんなに世の中の仕組みや依存関係は単純ではないということに気づくような、いわば「おべんきょう」を税金でさせているだけになるのだ。