Scribble at 2022-09-01 09:52:30 Last modified: 2022-09-01 23:11:00

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Founded by Nelson Mandela in 2007, we are independent global leaders working together for peace and human rights

The Elders | Independent global leaders | Ethical Leadership

この手の団体とか活動って、プレゼンスが全くないよね。こんな団体があること自体、知らない人の方が圧倒的に多いわけで、ロビー活動だろうとなんだろうと、彼らが相手にしてる為政者や経営者や官僚だけに知られていたらそれでいいというものでもあるまい。

僕は寄付とか奨学金とかが欧米で盛んな理由の一つとして、要するに「これで天国に行ける」という動機があるのだろうと思っている。クリスチャンというのは、信じる者は救われるという言葉がはっきりと示しているように、信仰している自分たちさえ良ければいいという宗教だ。そして、ユダヤ教もイスラム教もしょせんは似たような思想に立脚しているため、どれであろうと哲学者の僕からすればクズでしかない。ともあれ、そういう宗教的な妄執により、大勢の上に立って、稼ぐだけ稼ぎ、ありとあらゆる国の料理を食べて、世界中のコール・ガールを相手にしてきた連中が、最後の最後に求める究極の目標は「不死」だ。そのために現世で「徳」を積むというのが規定コースであり、これまたありとあらゆる宗教の勧める功徳である。でも、全ての財産を投げ出すほどの勇気はない(一文無しでは、あちらへ行けても天使の炊き出し弁当を施してもらうことになるじゃないか!)。よって、自分たちの都合でコミットできる範囲で「善行」を続けることで、最低でも天国へ行くための片道切符か入場券はもらえる筈だという虫のいい話である。

もちろん、そういう金持ちやセレブの道楽あるいは祈りにも似た永遠への渇望に期待するような仕組みは昔からあって、カルト宗教だけに限らず多くの福祉団体も敢えて篤志家の動機など問題にしない。でも、こういう仕組みは不安定だ。だからといって制度にしてしまうと、彼らの自主性を否定することになるため、キレて梯子外しのリバタリアン(自己責任論)になったり、お金を寄付する代わりに色々なところへ隠してしまうことになる。持ってもいない資産からは寄付しようがないからだ。

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