Scribble at 2020-12-16 17:00:19 Last modified: unmodified

東京都文京区や大阪市天王寺区など都心の有名どころを抑えての“勝利”に町長は「誠に光栄なこと」と喜ぶ。

「住み心地」全国1位に奈良県王寺町 小さな町が都心を抑え高評価

どうして高評価を得たのかという内容は paywall で分からなかったが、駅前に大型店舗が増えたり昔よりも便利になったらしいという印象はある。

僕は小学生の頃、正確には1975年の9月16日から王寺町の船戸という地区に住んでいたことがあって、そこは家の裏を電車が走っているようなところだった。線路に挟まれた中洲のような場所に公園があってD51が置いてあり、よく父親とキャッチ・ボールをした覚えがある。そういえば、他の場所へ引っ越してからも父親とは頻繁に家の近くにあったバッティング・センターへ行っていたし、なんだかんだ言って父親とは一緒に過ごすことが多かったのだが、父親と会話をした記憶というのが殆どないのは不思議だ。ここ数年は、二週間おきに実家へ行って父親と会話をする機会が増えたのだが、いちばんよく会話しているように思う。

王寺町に話を戻すと、駅前の記憶も幾つか残っている。確か、仮面ライダーかウルトラマンのスナック菓子でカードを集めるのが大流行していた頃で、よく商店街の店でスナック菓子を買ってもらった覚えがあり、専用のアルバムに欠けている怪人だか怪獣のカードを発売元から取り寄せたのだった。町内にある柔道の道場へ通ってすぐに止めてしまった覚えもある。そういう個人的な記憶はいろいろとあるが、いま思えば町の様子だとか周りの人とのやりとりが小学校の1年生では殆どなかったからか、悪い思い出はない。小学生では不便もなにもないし、そもそも小学校までは王寺駅から天王寺駅まで国鉄の快速で通っていたから(暫くはMさんという同級生の女の子と、その子のお兄さんと一緒に通っていた)、何か買うなら近鉄阿倍野橋駅の近鉄百貨店や国鉄天王寺駅のステーション・デパートがあった(現在は、前者はアベノハルカス、後者は Mio となっている)。

そしてそのころ、当時は親が黒田というところにあったスーパーの一角でパン屋を始めたため、しばしば親と一緒に新王寺駅から列車で通ったこととか、そのパン屋で売っていたアイス・キャンデーを食べた記憶は何となく残っている。しかし、そのパン屋はうまく行かず、パン屋を閉めると同時に王寺町から転居したのだろう、王寺町に住んでいたのは、実際のところ1年か2年くらいだった筈だ。しかし、王寺町に悪い印象は全く残っていない。

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