Scribble at 2025-04-18 19:53:56 Last modified: unmodified
Made by Gemini Advanced (2.5 Flash) at Google for "a cup of rice in Japanese dishes at night."
いよいよ米が 5kg で4,000円という高値どころか品薄にもなってきているようだ。備蓄米なんてどれだけ放出したところで、高く買っている業者が手に入れるのだから、米の値段が下がるわけないという話はしたので、値段の話はいい。だが、いよいよ品薄にもなっていて、スーパーからも米が消えているようだ。
つまり、高いだけではなく陳列すらされていないのだから、どういう事情は原因があろうと、われわれのようにインフレだからといって給料が上がったりするわけもない大多数の中小企業の人間や自営業の人間にとっては、もう米は「日本人の主食」ではなくなりつつあるということだ。食べものとしての選択肢に入れようがないのだから、どれほどインチキ伝統主義者やネトウヨが喚こうとしょうがない。確かに、多くの農家にとっては米の値段がもっと上がったほうが暮らしは楽なのだろう。なので、買う相手が中国人だろうとアメリカ人だろうと日本人だろうと関係ないというのが現実だ。それはそれで理解できるが、それはまさしくアフリカや中南米でチョコレートやコーヒーの農園を営んでいる「底辺農家」と同じ発想であり、逆に米しか作れない状況へ固定される。そして、いざ海外で米なんて必要ないと掌を返されたときには、既に僕ら日本人の大多数は米なんてチューインガムていどの価値しかないという食生活に切り替わっているし、政府も中国人を相手に米を売り払っているような連中を行政的にサポートする義理なんてない(そもそも、その後に及んで農家に補助金なんて誰も納得するまい)。つまり、日本の米は既に自滅的なコースをたどりはじめていると言っていい。
僕は、こういう見通しが出来たときは、端的に言って「加速主義」の味方をしたい。つまり、そういうことをした報いであれ報酬であれ、可能な限り即座に被ったり受け取るのが「社会が加える罰や報奨」としても効果的なのである。ズルズルと結果が出るまでに時間がかかると、そのあいだに中途半端な問題が起きて、必ず行政が尻拭いや無駄な補助金などを浪費することになる。僕は福祉や医療は手厚くサポートするほうがいいと思っているけれど、事業や産業に国家が過剰な補助を出すのはよくないと思っているので(無能はさっさと会社を倒産させて、企業経営者という場違いなレイヤーから退場するべきだ)、農業が破綻するというなら、さっさと破綻してしまうほうがいい。それに代わって、どのような事業が元農地などを使って展開されるのかを見届けるほうが有益であろう。
僕は自他ともに認める「ご飯喰い」なのだが、ご飯の種類にこだわりはないので、安い輸入米を食べることになっても全く構わない(おかしな農薬や水が使われていなければだが)。いやそれどころか、パンや蕎麦の食生活になったとしても、ぜんぜん哀愁など感じない。実際、会社が曽根崎に移転したので、たぶんインデアンカレーで食べる機会は極端に減るだろうとは思うが、そんなことに何の感慨もない。もう死ぬまで米を口にしなくなったとして、それがいったいどうしたのか。僕は米を食べることで「河本孝之」として生きられるわけではないし、ましてや米を食べられなくなったところで日本人でなくなるわけでもない。単に、21世紀の前半に日本人の主食が小麦に替わったという些末な歴史が始まるだけのことだろう。