Scribble at 2020-08-26 07:38:32 Last modified: 2020-08-26 07:39:28

戦後まもなく、太宰治の作品を愛読していたため、友人の北山冬一郎(詩人)の紹介で太宰に会う話が持ち上がった。しかし、ダンという苗字から檀一雄を連想した太宰が「ダンという名前なら大酒飲みだろう」と言ったところ、北山が「いや、実は一滴も飲めないんです」と答えたため、太宰が「酒も飲めない奴なんかに用はない」と断った。そのため、とうとう太宰に会うことができなかった。

團伊玖磨

酒が飲めない者を「下戸」というが、これはもともと「上戸」「中戸」「下戸」などという身分制にもとづいており、鳥越憲三郎氏によると鎌倉時代頃から酒が飲める人を「上戸」といい、飲めない人を「下戸」と言うようになったという(『倭人・倭国伝全釈』p.119f.)。また、さきほどはウィキペディアの「團伊玖磨」氏の記事を眺めていたのだが、上記のようなエピソードが(典拠不明だが)紹介されている。

ことほど左様にして、我が国に限らずたいていの国では酒が飲めない人を何らかの欠陥人間扱いする差別が伝統的に横行してきた。それゆえ、昨今の国内では若者が「飲み会」を嫌がり酒を酌み交わすことに何の社会的な意義も認めなくなり始めているという風潮を、或る種の時流の変化として僕は支持している。Yahoo! JAPAN の知恵袋のような掃きだめに集まってくる人々によると、こういう言葉を知らない者は語彙がないだの恥ずかしいだのという話だが、いったい差別語に精通して気楽に使っている「日本人」とはどこのクズのことなのだろうか。

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