Scribble at 2020-08-25 10:44:17 Last modified: 2020-08-25 11:09:28

考古学の専門的な脈絡では、幾つかの方法論とかアプローチが知られていて、次第に数も増えている。僕が考古学を勉強し始めた1980年代だと settlement archaeology が既に注目されていて、『考古学ゼミナール』で一端を齧ったりしたものだった(とは言え、もともとは19世紀に遡るアイデアなのだが)。現在では、「プロセス考古学」とか「ポストプロセス考古学」なるものが登場しているようだが、これは一見すると《法則定立的 vs. 個性記述的》というお馴染みの対立を表装替えしただけのように思える。

僕が小学生の頃にセトルメント・アーキオロジーというアイデアに感心したのは、その当時の人々の暮らしに着眼していたからだった。とにかく1970年代から1980年代にかけては、森先生も NHK の番組にたびたび駆り出されていたようだが、高松塚古墳の壁画発見などに象徴される、いわゆる「考古学ブーム」の渦中にあって、考古学では邪馬台国だの壁画だの金銀財宝だの「ロマン」だのという、好事家の集まるような話題ばかりが新聞記事やテレビ番組では踊っていた。要するに、ワイドショー番組で成金の自宅に置いてある高価な調度品を見てまわっては、吉本芸人や東京の三流芸人が歓声を上げるという様子が、全国に普及していった時期でもある。僕に言わせれば、学問としての考古学にとっては「暗黒時代」だった。確かに埋蔵文化財の発掘や保存に予算が割かれるようになり、全国に数多くの資料館や博物館が出来ていったわけだが、しょせんそんな理由で増えた予算など、文化財や記録の大切さによる社会としての共同理解とは何の関係もない打ち上げ花火の駄賃にすぎないわけで、維新の会のポピュリズムを待たずとも景気が悪くなれば即座に切り捨てられる。考古学は金銀財宝などあろうとなかろうと堅実に積み上げられるべき実績を必要とする学問であり、日本に巨大な古墳がなかろうと、邪馬台国があろうとなかろうと、本質的には過去の人々の暮らしを推定するという巨大な目標の前には消し飛ぶような些事であろう。

そして、過去の人々の暮らしや「共同体社会」なるものを考えるのに、文化人類学や社会学といった共同体なり暮らしにかかわる知見をもたずに遺物の測定結果だけで議論するのは、僕に言わせれば素人談義でしかない。考古学が、物質的な解析を主眼とするだけではなく、そこから推定される社会科学的な考察を含めて成果とするのであれば、それが過去の社会や共同体や家族であるかどうかにかかわらず、そうした集団の理論について高度な理解を欠いたまま論じても、それはアマチュアの議論というものである。それゆえ、僕は遺物や遺構の解析についてはともかく、そこからの推定については、さほど尊敬に値する考古学者を認めたことがない。そして、逆に言えば関連する脈絡や知識が広範に必要であると強く自覚していたことがわかるからこそ、森先生や瀬川先生を考古学の師として支持していたわけである。

最近の流行であるらしいプロセス考古学(哲学でもホワイトヘッドの「プロセス哲学」のリバイバルを訴える人はいる)にしても、或る事象や解析結果の原因を求めるというだけなら、そんなことは子供でも考えるわけで、いちいち「プロセス考古学」などと新しい方法論であるかのように言うのは、科研費目当てのプロパガンダでしかあるまい。そして、それに対抗すると称する「ポストプロセス考古学」も同じである。まともな独自の方法論たる限りは、考古学や歴史学としてどのような独自のアプローチで因果的な説明が可能なのかを明らかにする必要があろう。「この壺の底に炭が残留しているのは、おそらくこれを煮炊きに使ったからであろう」。まさか、小学生当時の僕でも鼻で笑うようなことを雑誌論文に書くためではあるまい。

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