Scribble at 2019-11-04 12:57:06 Last modified: 2022-09-29 14:41:35

昨日は久しぶりに連れと茶屋町の Loft と丸善・ジュンク堂へ行ってきた。家を出たのが15時と遅めだったが、そのせいか大阪環状線は空いていたので、JR大阪駅に降り立つまでは良かったのだが、やはり大阪駅から茶屋町へ向かうには相当な混雑の中を歩かなくてはならない。連れは開放感のない地下街は嫌いなのだが、僕は Whity を歩くほうが目的地に向かいやすいので(なんであのていどの通路を「迷路」と言う人がいるのか理解に苦しむが)、JR大阪駅の東口からすぐに地下街へ入って、Bigman の前で地上へ上がった。そこでも人は多い。観光客も多いが、日曜日となると地元の人間も多い。ただ、人でごったがえしているのは三番街の周辺だけであり、ヤンマーとイースクエアの間の道を入っていくと急に人通りは減る。そして、新御堂に沿って北進していくと、Loft へはすぐに着くので、それほど人混みに苦労はしないのが助かる。

Loft では、1時間近く文房具をあれこれと観ていた。もともと目的は「ほぼ日手帳」の2020年版を買うことなので、これはしっかり果たせた。今回は、ついでに「ほぼ日の週間手帳」というのを買った。別に2020年のために買ったわけではなく、これを血圧や体重を記録するための手帳として使い、罫線を引いて5年分くらい(たぶん曜日は無視しないといけないが)を1冊に書き溜めていきたい。いまのところ、レギュラー・サイズの手帳に書いているため、来年になると比較するのに古い手帳を引っ張り出さなければいけなくなるので、5年ぶんくらいは1冊にまとめておくのが便利だ。その他に、年賀状が発売される時期となったので、来年の干支であるネズミについて商品の絵柄を眺めながら(その大半は愚にもつかないデザインだが)、自分なりのアイデアを練った。賀状を送る相手は10人くらいしかいないのだが、それなりに毎年の暮れになるとアイデアを練ってデザインを考えているのだ。

そして、17時くらいに南隣の書店へ移動して、閉店30分前くらいまでいろいろと本を眺めていた。いつものように、7階の学参・語学のフロアから、順番に下へ降りていく。語学では、ここ最近は日本語教育の棚を見ている。僕自身も、日本語話者としては凡庸な部類であり、さほど際立った文才があるわけでもないし、それどころか文法や言葉の理解についての思い違いすらある。よって、日本語の使い方の間違いを集めた本だとか、日本語の初等的な文法書を眺めることもある。

次に、6階は洋書の棚をざっと一回りしたのだが、丸善・ジュンク堂ができた当時とは比べ物にならないほど洋書の棚は貧弱な品揃えになった。かつては、哲学だけで棚を10本近く使っていたほとで、数学でもモノグラフ・シリーズが何本もの棚を埋めていたほど壮観だったが、いまでは哲学も数学も(もちろん経済学や経営学や物理学なども)古典と通俗書が棚を一つずつ占めているていどになってしまった。洋書が置いてあるというだけでも、かろうじて「かつての丸善」としての体面は保っているのかもしれないが、かといって大阪の学生が代わりにアマゾンで洋書を買って読んでいるのかと言えば、そんんなこともない。

そして同じく6階には理工系の棚があるため、このところよく見ているナノセルロースに関連した、有機化学、材料科学、ナノテクノロジー、の本を見た(uniball のペンである Signo 307 のインクを詳しく知りたいからだ)。さすがに、ジュンク堂の大阪本店すら凌駕するような分量の本があって面白いのだが、しかしこれだけ並んでいても材料工学の教科書は少ないのだなと感じた。特に、学部までの一般化学や有機化学、無機化学、生化学などは翻訳も含めてたくさんの類書があるけれど、材料工学や生体有機化学のような応用分野となると教科書が急激に少なくなり、それこそ応用のテーマを扱った専門書ばかりになる。Springer とかが出しているような、院生向けのテキストが圧倒的に不足している印象は、物理学や天文学など他の理工系でも変わらない。こういう不足が、特にアメリカの大学院とは違って日本の大学院教育が(特に理論系は)一子相伝の秘術みたいなものだと見做される理由なのだろう。

理工系の本を見終わると、建築関連の本を物色していた連れが見当たらない。どうやら地下の漫画フロアへ移動したらしいので、僕は地下へ向かいながら、少しずつ他のフロアも見て回っていた。6階では、他に医学の棚を暫く見ていた。先週から、再び老眼と老眼鏡のページを書き継いでいてため、その資料になるような本がないか探していた。けれど、眼科学の教科書はどれも7,000円以上はするため、これは図書館で借りよう。アトラスのような解剖系の本も、感覚系だけを特に安く売っているものは少なく、どうしても通俗的な図鑑のようなものになってしまう。あと、雑誌を見ると、たまたま『眼科』(2019年10月号、61巻11号)が「老視の対策」という特集をしていた。少し眺めてみたのだが、レーシックなどの外科的な処理の話題、そして点眼薬やサプリメントを活用する可能性について論じたものがあるだけで、さほど興味深い論説はなかった。

今日は5階の人文系のフロアは無視して、4階の社会系とPCのフロアへ降りて、少し棚を回っていたのだが、どうも本の配置が変わったのか、社会学の本が見当たらない。そして、いわゆる「社会問題」と呼ばれる棚を見ても、部落差別に関連する本が全くないのだ。この店舗で部落差別に関連する本を探すのは初めてなので、おそらく他のジュンク堂と同じなのだろうと思うが、日本ではどういうわけか部落差別に関連する本は教育の棚にあって、一部だけが社会学の棚に置いてある。そして、身障者差別については社会福祉、女性に対する差別は社会問題や社会学、あるいは最近では「ジェンダー」とか「LGBT」という専用の棚が倫理学の付近にあったりするが、ともかくバラバラだ。ほかにも、沖縄、アイヌ、ヤクザ、学歴、高齢者、差別については民俗学など数多くの棚を見て回る必要がある。逆に、それだけ色々な分野の研究があって、色々な場面で差別が陰湿に《横行している》のが日本なのだという実態を反映しているとも言える。ともかく、教育学の本もどこにあるのか分からないし、いちいちスタッフに質問するまでもないと思ったので、今回は無視した。ちなみに、IT/PC 関連の棚は DNS について本を見たが、ネットワークや TCP/IP の棚には予想通り DNS を扱った本は全くなかった。

3階は旅行・地図などのフロアなので、以前から気になっていた大阪府の地図を物色した。やはり碌なものがない。前にも書いたと思うが、「大阪市」の地図を名乗っていながら、大阪市全体をカバーしていない地図が大半で、特に差別的な意図はないかもしれないが、西成区や生野区の周縁部は割愛されている。こんなものが「地図」と言えるか。そして、「大阪府」の地図でも、各市の地図は非常に貧弱で、一つの市でも人口密集地の拡大図しかないため、おそらくこれは道路地図としても役に立たないと思う。これでは、みんながカーナビを買ったり、Google Maps を携帯やタブレットで見るだけになって、家に紙の地図を常備しなくなるのは当たり前であり、紙媒体の地図は Google に負けるのではなく、ネットもへちまもなく劣悪な設計で出版したことによる自滅というのが近い未来の情景だろう。

そして2階へ降りて、文庫や新書を眺めて、前から買おうと思っていた『ミゲル・ストリート』と『タタール人の砂漠』を手に取り、1階では新刊の棚にあった『吃音』を選んだ。それから地下へ降りて連れと合流し、『修羅の刻』の18巻を手に取って清算した。漫画のフロアでも暫く色々と眺めていたのだが、やはりまとめて読みたい作品となると古本で買うか、あるいは手元に置く必要がない作品なら、『海皇紀』(全45巻)でやったように、漫画喫茶で丸一日をかけて読破するといったことをした方がいいのだろう。

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