2022年11月25日に初出の投稿

Last modified: 2022-11-25

新海誠という人物の才能なり成果をめぐって、やたらと「一人で仕事を完結するべきかどうか」みたいな議論をしたがる人たちがいるんだけど、僕に言わせればナンセンスでしかない。そういう形式主義というか方法論というか、様式美みたいなことばかり喋ってるからこそ、そういう連中は無能なんだよ。

僕は科学哲学の研究者なり学生として、昔からどうも「科学方法論」という話題が好きになれない。かろうじてファイヤアーベントの "anything goes" といったスローガンに共感は覚えるけれど、それでも彼が幾つかの著作で同僚の科学哲学者や、哲学が大好きな自然科学者たちに向かって、延々と科学の方法という観念について議論を展開している様子などを見ると、酷く退屈でウンザリさせられる。もちろん、方法とはすなわち学術という生業の所作や見識に通じるのだから、軽視したり蔑視するべき話題でもないだろう。でも、その一般論を延々と議論していても成果なんて出ないだろうという予感もまた確かにあるわけで、寧ろ僕らが世界を相手に学術というアプローチで向かい合うためには、科学方法論なんていう一般論ではなく、自分のやりかたや想定や背景知識を個々に相対化したり留保したり反省して効果的にもっと良い成果を上げるための考察なり議論が求められるはずだと思う。

同じくアニメーション作品を制作するにあたって、アニメーション制作の方法とは何ぞやなんて一般論を議論してるような物書きとかオタクなんて、実は才能がある3歳児にも劣るような絵しか描けない素人どもだし、構図やストーリーという点でも全く実績がない連中だ。彼らが、三流の科学哲学者みたいに「アニメ制作の方法論」なんてお喋りを100年続けたところで、そんなところから次世代のアニメーションを担う有力な才能なんて生まれないだろう。実際、批評家を兼ねてるか元批評家の有名な漫画家とかアニメーターなんて一人もいないじゃないか。新海誠という人物は、批評家らがあれこれと勝手に論じていることを実際に自分でやってみて、幾つものジャンルで自分なりにどうすればいいかという試行錯誤を集積していっただけのことなのだ。寧ろ、演出にしか興味がないとか、作画にしか関心がないという人の方がおかしいという感覚があってもいいはずである。

同じく、僕に他人から賞賛されるような成果があるとは思えないが、少なくとも企業で20年近くにわたって技術部門の責任者を続けているという事実には、ウェブ・コンテンツの制作だけでなく、サイトの処理・通信・構築といった多くの関連業務なり知識についての関心だとか、それらを技術なり知見として向上させてきた試行錯誤の経緯が裏書としてある。僕が、翔泳社とか日経BPとかで物を書いている大多数のライターや著者をはるかにしのぐ教養や実績を持つと自負しているのは、そういう経緯があってのことだ。単に「ウェブ・アプリケーションの開発とは」みたいな御託を『Web Desinging』などに書いたり、そこら辺のパソコン教室で喋っているだけでは(そして、そういう御託を読んだり聴いてるだけでは)、大手広告代理店案件でコンテンツを製作したりサーバを構築したり運用する実績なんて出せないんだよな。

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