Scribble at 2023-04-05 15:54:08 Last modified: 2023-04-05 15:58:14

さっき Facebook でも書いたことだけど、Twitter で威勢のいいことを言ってたパース研究の若造がどうなったのか知りもしないし興味もないんだけど、アメリカ人の「プラグマティズム」って、どうもドイツ仕込みの観念論の影響から脱していないという印象があるんだよね。だから、中国人とかに感じるプラグマティズムに比べて、すげー軟弱な感じがする。それこそ、中国人なんて数千年にわたって政権交代どころか支配階級の民族・人種だって色々と変わってきたところで暮らしていたんだから、そこで培われる思想の厚みというのは、少し丁寧に学んで考え入れるところがあってもいいと思うんだよね。科学哲学でも。

とにかく昔から修士とか学部の学生を見ていてイライラするのは、教科書的に並べられたテーマから自分が何を選ぶべきかみたいな、ウィンドウ・ショッピングみたいなことばっかしてるんだよ。そこで自分にマッチしたテーマを選ぶのが「問題意識」だと。これは、要するに自分がどうして哲学科で学んだり、あるいは違う学科だろうと大学に在籍していなくても「哲学」について学んだり、そこであれこれ議論されてるようなことに関心をもったり考えたいとか考えなくてはいけないと思うのかという、自分自身の動機がなくて出来合いのステージで選ぶことが思考とか研究だと思ってるからなんだろう。あるいは、conditionals であれば様相論理学を勉強して、グッドマンの論文を読んで・・・という、一定のフォーマット化された手順を踏んでから何かを言うという様式美みたいなものが分析哲学や科学哲学に(いや、現象学やギリシア哲学にすら)あって、学生の訓練ならともかくプロパーがそんなもんを論文に書くなよと思う。よく theme-setting と言うけれど、クリシンを教えている人々にこそ、学生や素人の多くは馬鹿げた認知バイアスで騙されているわけだ。そして、「心の哲学」をやるのがいいか、それとも「生活世界」をやるのがいいかみたいな巨大な自己欺瞞に落ち込んでいる自覚がなくて修士号とか取っちゃうんだよな。

自分自身が何について学んだり考えるべきなのかを自分で考えずに ready-made な哲学用語集だとか、あるいは論争を集めたクズみたいな本をカタログみたいに扱って研究テーマや専攻を連想ゲームみたいに決める人々って、英語や数学で予備校のフリー・パスを振り出されて東大に入ったような秀才でも、結局は哲学的に言って「無能」だとしか思えない。そこで語られていることや議論されている内容には実は関心も興味もなくて、寧ろ自分がどのレッテルをアイデンティティに据えると安心できるかという自意識にしか動機がなくて哲学(いや、他の学科でも同じことだが)に関わってるなんて、それこそ GPT-4 とかに置き換わってもいいようなロボットどもだ。自意識が動機だと、要するに昆虫並みの思考しかできないからだ。それが、どれほど精緻な数学を駆使したり多くの英語の本を使っていようと、ChatGPT が吐き出す内容を越えるとは思えない。ChatGPT は検索結果から作文するわけだが、そういう連中もしょせんは「えいごのごほん」から作文しているだけだからだ。

ともかく、「プラグマティズム」と聞いてパースだデューイだジェイムズだローティだと言ってるようでは底が浅いと言わざるをえない。そういうレッテルとして、まさしく検索エンジンが同じキーワードを探すように検索した結果をあれこれと文章にしたところで、そんなものは ChatGPT と同じでしかなく、われわれのように有能な人間が同じ本を読むだけで同じていどの思考や議論に到達できるものでしかない。そういうものは、学術研究の成果というよりも学生にやらせるサーベイや下準備のようなものであって、学者が成果として評価されるような仕事ではない。

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