Scribble at 2023-05-19 13:15:19 Last modified: 2023-05-20 11:49:31

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京セラはXperiaやAQUOSに対抗できるブランドを作れず、結局、ミドルクラスや子ども向けシニア向けといったキャリアからの発注された規格端末をメインに手がけていたことで、行き詰まった感がある。

30年以上続いた京セラの携帯電話事業、終焉へ

もともと ASCII のサイトで見ていたのは、こちらの記事だ。幾つか事情は解説されているけれど、僕には的外れに思える。京セラという会社について本質的な話をしていない気がするからだ。

日本は珍しく iPhone のシェアが圧倒的で、だいたいスマートフォンのユーザの半分は iPhone を持っているというから、もともと他のメーカーも苦戦していると言える。それに、買い替えの頻度が下がって毎年のように買い替えてくれるなんて消費動向に依存しているなら、それこそ SDGs に反する浪費を前提にした業界であり、縮小してもそれはそれで(経済的にはともかく)「正義」というものであろう。しかし、それも京セラだけの問題ではない。

京セラについて少しでも沿革なり事業展開の歴史をご存じであれば同意してもらえる人もいると思うのだが、僕はそもそも京セラがコンシューマー向けの電化製品を製造していること自体に違和感がある。そういう会社じゃないだろう、という気がするのだ。過去を振り返ると、オーディオのアンプとか、デジカメとか、パソコンまで製造していた時期があったが、すべて失敗して撤退している。一般消費者向けの製品を展開しては撤退するということを、この会社は昔から何度も繰り返しているのである。たまたま G'z One や TORQUE のような個性的な製品で一部にファンはいるのだろうが、やはり京セラは産業機械や事業者向けの部品や材料をつくる企業だと思う。ネット事業についても、京セラ系の情報セキュリティ企業は、あの徳丸氏を輩出したことでも知られるように技術力でも定評がある。そういう会社が、萌えキャラのスケベ画像をちりばめて上場するような都内のチンピラどもと同じようなことをしても、それは社内の士気として続かないだろうと思う。

確かに、京セラには稲盛氏の提唱した「アメーバ経営」という理念に沿って社内カンパニー制を敷いて競争させるという仕組みがあるのだろう。よって、コンシューマー向けの事業も個々に立ち上げては失敗したり成功したりを繰り返すのだと思う。でも、京セラを巨大企業に育てたり KDDI まで立ち上げた人物(それから彼が創設した「京都賞」の選考委員として、僕の恩師である竹尾治一郎先生も関わりがある)の議論に零細の部長ふぜいがこんなことを言うのも変だが、アメーバ経営とは要するにアメーバに本質があるわけではなく、なんだかんだ言ってもアメーバを育てる経営者が何をするかで決まってしまうのだと思う。アメーバはしょせん三下の集団であって、最初から社内で権限などない。彼らに何をさせるかは、最低でも専務クラスの人間にしか決められないのである。あとは、本物のアメーバ同様に単細胞生物として摂理に沿った動きを続けて成果を出すだけである。一般的には形態が不均一で常に変化する形状であることから、ダイナミックな組織論や事業経営論として着目されているが、僕はそれは表面的な(つまりは社内の士気を高めるために経営側から従業員側に向けた)理屈だと思う。よって、一方では色々な事業に挑戦して成功したところを進めるという「アグレッシヴな」展開から、デジカメやスマートフォンの製造にも手を付けたということなのだろう。でも、アメーバを育てる側の人間が選択を間違えたら、形状がどう変わろうとアメーバは数年で死ぬ他にない。携帯事業はよく続いた方だ。

しかし、理屈は異なるにしても、それと同じことをやって破綻の寸前まで業績が落ち込んだ巨大企業がアメリカにある。GE だ。色々な事業にチャレンジするというのは聞こえがいいけれど、それができるのは主事業が儲かっているからだ。つまり、事業展開に関してアメーバ経営でやっていることは、ただの多角化経営なのだ。それが成功するには、いわゆるブルー・オーシャンがあって、後続の企業が真似できない強みを自社の既存の事業から短時間あるいは安価に借用できる好条件があることなどが必要である。確かに京セラにはスマートフォンを製造できる技術力はあったのだろう。でも、彼らには iPhone を展開する Apple のような企業と競争できるだけのクリエーティブが欠落していた。実際、G'z One は京セラのデザインした電話ではないし、TORQUE は G'z One の成功を参考にデザインされただけで、G'z One に比べるとさほど評価はされていない。そして、これは先日も書いたことだが、ブランドとは消費者が決めたりつくるのであって、製造したりデザインする側から性能をどれほどアピールしようと、ブランドとは殆ど関係がない。実際、日本でも有名なブランドや商品がどれもこれも高い品質だったり、食品として添加物が少ないわけでもないのは、どういうジャンルのブランドについても実感があるだろう。それでも多くの人が AQUOS を買うのは、実は AQUOS という商品ブランドなんてどうだっていいのであって、それを作っているシャープというブランドについて消費者が作っているイメージがあるからこそ成立するのである。テレビだろうとスマートフォンだろうと「AQUOS」と言えばシャープの製品だという、「シャープの製品という所属先が分かること」が AQUOS というフレーズの役割であって、それ自体に殆どブランドとしての力などない。そして、上記の記事でブランドの話をしているのが的外れである理由は、そのことを無視して、商品ブランドだけでスマートフォンが売れると思っていることにあるのだ。

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