Scribble at 2018-01-30 15:09:39 Last modified: 2022-09-23 20:53:31
要するに宗教的な信念がどこに置かれているかという問題だと思うんだよね。自然科学者の多くもクリスチャンだけど、彼らはそれこそアインシュタインの「神」のように、科学として研究できない(または当時の知見から言って、研究しうると思われていない)ところに信仰という便利な言葉の彩とか観念を据えていて、逆にそれを据えているからこそ自分たちの知見で研究できるはずだとコミットしている領域は、宗教とは無関係に探究できるのだと思う。したがって、信仰とは信念の特殊な事例であると考えたら、何かの信者であるか無宗教であるかは関係がないと言えるし、科学だけで十分だと言う人は信仰に頼らざるを得ない限界や話題をわざを考えたり見ないふりをしているし、信仰こそが第一だと言う人も科学で十分に解析し尽くされる領域を無視して、それらの限界だけを声高に強調している。そして重要なことは、それらの領域を語り得るとか考え得るとか、既存の宗教への帰依によって理解できるとは限らないということだ。仮に自然科学に何かが欠失しているとしても、それを宗教が概念として拾い上げている保証など、どこにもないのである。