Scribble at 2024-07-31 15:37:06 Last modified: 2024-07-31 16:40:32

今週は昨日に続いて本日も午前中だけ出社してきた。8月から入社する人材の業務用パソコンをセット・アップして部門長に渡すためだ。作業そのものはアカウントを作り直したり、いらんソフトウェアを削除したりして30分ていどで終わったから、9時半に出社して10時過ぎには会社を後にしてきた。

ジュンク堂の大阪本店は9時から開いているため、この時間帯は空いているだろうから足を向けてきた。実際、客が少なくて楽に棚を選んで物色できる。もちろん単行本の棚は他の時間帯でもさほど人はいないのだが(それゆえ売上にも影響している可能性はある)、10時台ともなれば、窓際の椅子に座っている人すら少ない。僕は、あの窓際に椅子を置くというアイデアは、実は良いとは思っていない。なので、窓際に座っている人が少ないと助かるのだ。どうして良くないアイデアだと思うかと言えば、これはジュンク堂に足を運ぶ人なら知っていることだと思うが、あそこに座っている人の多くが通話して喋っていたり、それから足を投げ出して通行を邪魔していたり、それから座ってる爺さんに限って酷い咳をしていたりするからだ(あんた、本なんて読んでる場合じゃないだろう)。

つまり、あそこに座って本を読む必要がない人に限って座っていることが多いとしか思えないのである。そして、実際にあんなところでいくらか読んだていどで本を実際に買うのかというシビアな調査をジュンク堂が真面目にやっているとも思えない。かつての青山ブックセンターのように、収益性もないくせに気取ってパリのカフェみたいな文化サロンのコスプレをして倒産した書店の、そのまた猿真似をしているようにしか思えないんだよね。企業の経営を預かる一員として言わせてもらえば。本当にあんなことやって本が売れてるの? 暇な人たちが、近くに図書館がない代わりに来てるだけじゃないのかな。それで文化水準が少しでも上がったり、書店や本という商品にとって何かプラスになるようなことがあるのかと言われて、僕にはそんなことを論証したり実証するだけの理屈なんて全くない。

とまぁ、つらつらとそういうことも感じながら店内を眺めて、ひとまずは中国史と中国思想の棚に行ってみた。もちろん『論語』にかかわる本はいくらか並んでいるのだけれど、はっきり言ってクズみたいな抜書だとか、自分勝手な(というか漢文や読み下し文すら読めるかどうかも怪しい人間による)現代語訳だとか、しょーもない人生訓の namedropping に孔子の名を使っているだけの愚劣な本が大半を占めている。もちろん、海外でも古典の名を掲げた紙くずなんてものはたくさん出版されていて、東アジアに生息しているサルだけが文化的に未熟だったり退廃しているわけではない。なぜなら、「未」熟とか「退」廃なんて言葉は、これから成長する段階とか過去の良い状況から悪くなったという意味だが、そもそも凡人のやることにこれからの成長や過去の良い状況なんて最初からないからだ。凡人の為すことは、過去から現在、そして未来永劫にいたるまで常に凡庸であり、愚劣・拙劣・低劣であり、カスみたいなものである。そういう意味では恐るべき精度での「品質保証」である。われわれはお金も時間も限られているのであって、できれば「良い本」だけを読むべきである。こうしたカスみたいな本をわざわざ読むことが「反面教師」や「社会勉強」になるかのような妄想に陥ってはいけない。それは、そもそも凡人が自分で言い出したことに過ぎないのであって、たいていの同じく凡庸なわれわれは、そういう本の何をもって反面教師になるのかを正確に理解できないからこそ凡人なのであり、愚かな本のまさに愚かさを正確かつ即座に理解できるくらいなら、そもそもがそんな本を読む必要がないくらいの知性を得ているはずなのだ。

ということなので、暇潰しに愚劣な本を読んでも構わないが、やはりそれはスタンダードなものを読むことが前提である。スタンダードな本だとか古典も読まずに、そんな超訳だのビジネスマンの論語だのという本ばかりを何千冊と読んでいても、古典を読むこと1冊にも値しないものである。そういう、膨大な「情報処理」なんてことを積み重ねたところで、その膨大さゆえに一冊ごとの理解度は弱く浅くなるわけで、早い話が東大暗記小僧のクイズ王みたいな「生体 ChatGPT」みたいな人間になるだけである。その典型が、都内の出版人だけから「知の巨人」などと持て囃されている、「編集工学」を名乗る三流の多読家にすぎない松岡某という素人思想家だ。ああした読書ロボットが独創的な思想など持てるわけがなく、せいぜい性能の低い ChatGPT になるのが関の山だ。その読書量に圧倒されて、都内の不勉強で不見識な連中が思想家であるかのように騒いでいるだけの話でしかなく、それはつまりこの国の出版業界の人間がいかに不勉強で不見識であるかを逆に例証していると言ってもよい。

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