Scribble at 2022-05-16 17:12:22 Last modified: 2022-05-18 10:15:30

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「トップが考えた戦略に部下が反発して、動いてくれない」「仕事が多すぎて、何から手をつけていいのかわからない」「現場の声がトップに届かず、戦略にも反映されない」そんな悩みを抱えるマネジャーに必要なのは、戦略の実践的な理解と現場を動かすテクニック。MBA教育で名高いアメリカ・デューク大学がビジネスマンと共同開発したマネジャーのための「学べる」「使える」教科書。

『現場を動かすマネージャーのための 戦略を実行する技術』-デューク-コーポレート-エデュケーション/

昨年の夏から半年ほど読み続けた数多くの経営書やビジネス本には、『ティール組織』のような宗教がかった(しかし近年の出版界で好評を博している入山章栄氏も分厚い著書で、まっとうな経営理論の一つとして真顔で評価している)本もあるし、冷笑されている割には常識的でまともなことが(一部に、だが)書いてあったトム・ピーターズの『エクセレント・カンパニー』のような本もあった。そして、著作の中で使われているコンセプトというか言葉だけが独り歩きしていて、中身が丁寧に議論されておらず、たぶん読まれてすらいないと事前に思ったら、やはりその通りだった『ブルーオーシャン戦略』という好著もあった。『ブルーオーシャン戦略』を買った方々は、著者に代わって言うのもおかしな話だが、もし一読もせずに死蔵させているなら、キャバクラやキャンプ場や推しのコンサートへ行く暇があったら通読する時間を作ってほしい。

さて、そういう中でもやはり圧倒的に多かったのが、クズみたいな著作だった。僕が通読したのは70冊ていどの本だから、「~冊を読破した東大生が語る経営戦略」みたいな、これまた承認欲求かアフィリエイト目的で公開されている(たいていは読んでもいない奴が捏造した)インチキなブログよりも少ない筈だが、それでも大半はクズだという結果を得た。まぁ、最初から分かってたけどな。ということで、宗教がかった三流コンサルが適当に書いたガラクタの経営話とか、ハーヴァードの客員研究員(ハーヴァード大学の教員でもなんでもない、ただのゲストだ。実は実験スタッフのように学者でなくても名乗れたりする)となれるていどに英語が話せるというだけの山師が書いたレポートとか、あるいは三流企業だろうと世界規模の大手企業だろうと小舟や大船に乗ってただけの連中が書いた結果論とか、ともかく山のような御託が、同じ程度に三流の編集者と出版社から続々と刊行されている。

そして残念ながら上記の著作も典型的なクズ経営書の一冊であり、既に絶版となっている。ここでは何度か述べていることだが、多くの単行本は初版で3,000部から5,000部ていどを発行する。そして、それに必要な資金を銀行などから調達している。日本は再販制度という特殊な決まりで書籍や雑誌を流通・販売しており、原則として全ての小売店では定価販売となっていて、書店は委託販売という体裁なので、商品が売れ残ったら取次や出版社に返品できるようになっている。こうした業種全体に渡る特別な仕組みがあるため、出版社は初版の部数を捌いたら経営に大きな問題が生じないていどの利益を上げられる。そして、書籍や雑誌の多くは街中の書店の店頭に並んで売れてゆくのはともかく、それとは別に相当な数が実際には公共図書館や大学図書館に流れてゆく。その数は、公共図書館が全国で約3,300、大学図書館も短大や高専の図書館を含めると全国で約1,600ほどある。よって、図書館だけで5,000に近い数があり、全ての図書館に収められるわけではなくとも、半分の図書館が購入するだけで初版の半分は売れる(もし初版が3,000部なら大半が既に図書館だけで捌けてしまえることになる。本来ならそれほど売れる筈のない学術研究書、たとえば一冊で数万円する考古学の本とか20冊揃いの「知の巨人」とやらの全集でも次々に出版できているのは、そういう事情がある)。もちろん、殆どのビジネス書というのは初版を売り切ったら重版などされないし、重版するほど売れるという想定では出版していない筈だ。よって、既に書店で販売されていないとしても、不思議なことではない。そして、初版を全て捌けたからといって「よく売れた」という結論も出せないのだ。もともと出版事業というもの自体が、刊行するのに必要な資金を銀行などから調達できて出版し、元手と利益を回収できたらいいというモデルで回っているのだから、想定した以上に売れるのは喜ばしいことには違いないが、要するに出版して日販や東販などの取次へ所定の発行部数を引き渡したら終わりなのである。売れる店に配ってくれるのは取次であるため、出版社にはマーケティングの大半を取次に任せられるという利点がある。ともかくそういう本がいくらでもあって、本書も、バラ撒いたら終わりというクズの一冊というわけである。

古本で適当に選んで買ったために中身を丁寧に確認していなかったのだが、改めてざっと通読してみると驚くべき本だった。「超」がつくようなクズである。ふつう、「実行する技術」と書かれて想像するか期待するのは、経営者がせっかくコンサルに指導されたり自分でビジネス本を読んで唸りながら考案した「ビジネス戦略」とか「営業戦略」とかの類であっても、その多くは実際には従業員に理解されないし、現実のサラリーマンは経営者がパワポで作ったスライドとか、PDF にして社内のチャットやメーリング・リストでバラ撒いた内容の通りに行動なんてしないものだ。つまり、言ったとおりに動く奴なんていないのである。下で働く者には、とりわけ若いならなおさら、自分で何とかうまくやって業績を上げてやろうとか、経営者の言ってることが気に食わないので自分流にやってやるとか、とにかく色々な事情とか理由とか動機とか意図がある。経営者や上長が何十枚のスライドや資料を配ってガミガミと会議や飲み会で熱弁をふるっても、結局は同じことなのだ。

では、どうやったらいいのだろう。多くの経営者が本当に悩んでいることは、実は経営戦略を NRI とかゴールドマン・サックスのコンサルばりに格好いいスライドとして作ることなんかではないし、マッキンゼーや PwC のコンサルみたいな格好いい(しかし僕らのような哲学者から見れば空っぽの)スローガンを捻り出すことでもない。そうではなく、仮に間違っていたり未熟だったとしても、自分の提案することを従業員が〈ちゃんと〉即座に実行してくれるには、どうすればいいのかということに悩んでいるのだ。戦略が間違っているかどうかにも不安はあろうが、そこはやろうと思えば軌道修正できる。でも、軌道修正するにしろしないにしろ、従業員が望むように行動してくれなければ、なんにせよ経営として成立しないのは同じであろう。よって、組織において本当に難しいのは、実は人を動かす目的や戦略を考え出すことではなく、人がそれに従って〈ちゃんと〉動くように仕向けることなのである。もちろん、剛腕係長のオッサンや冷酷人事のオバハンによる腕力や言葉の「圧(あつ)」で人を無理やりに動かすことはたやすい。しかし、それは自分から動いているわけではないため、初動の力だけでは足りずに、最後まで手をかけて動かし続ける力が必要であり、結局は動かしている人々こそが動かない限り、彼らに動かされる者も動かないという話に落ち着いてしまう。では、最初に剛腕係長や冷酷人事をどうやって動かすのか。おそらく、たいていの企業で権勢をふるっているだけの出鱈目な連中に限って、経営者の意図を正確に理解して実行する知能は欠けているのである。営業部の部屋で「えいえいおー!」と叫ぶしかできないとか、あるいは Excel のマクロを実験動物みたいに実行するしか能がないような連中が先導するだけで、まともな業績を上げ続ける会社などない。

よって、経営戦略の難しさというものは、紙やパワポに戦略を描くことではなく、それを社員にすすんで実行してもらうことにあるのだ(なんやかんやと批判はされつつも、その難しさを率直に、丁寧に記しているのが、ジャック・ウェルチの『わが経営』だ)。しかし「実行する技術」とタイトルにも記されていながら、『現場を動かすマネージャーのための 戦略を実行する技術』には社員に戦略を実行してもらうのに必要なアイデアが何も書かれていない。というか、この本の大半(140ページのうち134ページを占める)は、実は経営戦略を練って形にするまでの話しか書かれていないのだ。そして、最後の第7章「いざ、実行!」では何が書かれているかというと、この僅かな最後の6ページにすら、実行させるために必要なことは3行しか書かれていない。いや、その3行すら「では、どう実行するのか。」といった質問が幾つかのパターンで繰り返されるだけで、実際には後にも先にも答えが書かれていない。そのあとに数ページほど続く内容も、〈既に実行し始めた段階で〉チームの集中力を高めるアイデアだとか、〈既に実行し始めた段階で〉正しく評価する方法だとか、あるいはマネージャがどう振る舞えばいいかとか、継続して実行しなくてはいけないとか、ともかく既に始まってしまっているのだ。正直、そのていどのお膳立てや、電通・博報堂が大好きな「仕掛けづくり」だけで人が動くと思っているなら、経営学者や経営コンサルタントとしては素人あるいは何か致命的な錯覚をしているとしかいいようがない。

本書は、日本のイカサマ経営コンサルが適当に書き殴った著作ではなく、Duke University の監修した本であるらしい(著者名は全く記載されていない)のだが、それにしても酷い。アメリカにも、この手の愚にもつかないビジネス本というのが山ほどあって、やれサンタ・クロースに学ぶリーダーシップ教則本だとか、新人の女の子が街角でゴチャゴチャと中途半端なフェミニズムを喚くとか、インド人や黒人が「白人社会」とやらでサバイバルするストーリーとか、そういうのがたくさんある。しかし、ここまで馬鹿げた本を経営大学院まで擁している大学の名で出版しているのも、随分と恥ずかしいことだと思う。或る意味では〈博物館行き〉とでも言えるレベルのガラクタを眺めさせてもらってオモロイけど、エエカゲンにせいっと頭を張り倒したろうかと思うわ。

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