Scribble at 2020-04-04 10:32:47 Last modified: 2022-10-03 09:20:36

僕が Oxford の辞書をあまり評価しないで Longman や Collins の辞書を高く評価しているのは、もう今では OALD の中身が全く違うので当てはまらないのだが、昔の Oxford の辞書はとにかく使い辛かった印象が強く残っているからだ。まだ Oxford の辞書が "Hornby" の名を冠して発売されていた頃というから、40年くらい前になるわけだが、その頃に求めた Oxford の辞書は、語義の説明も難しくて、しかも用例が日本の英文法の教員が教えるものと同じくらい古臭い英語表現だった。まるで19世紀の行政官が書いているような英文が載っていて、40年前の当時ですら「こんな古い英語で教えたり辞書を引かせるのは、『教育犯罪』だ」と怒っている人もいた。副島隆彦氏ではないが。もちろん、すぐに(どういう理由で買ったのかは忘れたが)Oxford の辞書は本棚の奥に仕舞い込み、いつか書いた話だが、中学生の頃に個人指導の塾へ通っていたときに講師から勧められて LDOCE の初版(いまでは別売りだが、初版には基本単語2,000個を収録した単語帳が付録に付いていた)を手に取って、Hornby の辞書とは違う使い易さに驚いたものだった。

いまでこそ LDOCE で採用された《基本単語だけで語義を説明する》というアプローチは他の辞書でも採用されているが、不思議なことに日本の国語辞典でこういうアプローチを採用する出版社はないようだ。もちろん日本でも移民は増える可能性があるし、だいたい識字率などというバカバカしい基準をいまだに持ち出す人間もいるようだが、「日本人」を名乗っている人々の大半が実際には熟語を《発音できるだけ》にすぎない、無知無教養な集団であることは明白なのであり、そろそろ日本語教育の研究者や教育者とも協働して《日本語の基本語句》を選定してみてはどうかと思う。たぶん手っ取り早い基準になるのは、幼児や小学校低学年向けに作られた国語辞典や、留学生と移民に向けて作られた学習辞典なのだろう。しかし、そういうものを参考に新しいアプローチの国語辞典を作れたとして、今度は「日本人」と称する連中に、彼らの安っぽいプライドを傷つけずに販売するというマーケティングは、それなりに至難というべきものになるのかもしれない。表紙に、ケツが半分出てるような女子高生のイラストにするとか、あるいは美少年どうしの絡みを描くとか、そんな工夫がいるのだろうか(おちょくられるのが嫌なら、「日本人」を自称するクズどもは、こういう辞書が出るよりも前にとっとと自分で勉強することだ)。

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