Scribble at 2022-08-06 09:14:23 Last modified: 2022-08-06 09:22:18

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このところ天気予報は当日にならないと殆ど当てにならないという印象が強い。日本が「亜熱帯」になってきていて不安定だからだと言われたりするが、では実際に亜熱帯の土地や亜熱帯と温帯のあいだに相当する地方では、昔から天気予報が当てにならないのだろうか。そんなことはあるまい。

ということは、日本の気象庁や幾つかの気象サービス企業が大規模なコンピュータでやっているのは、最初から予報に都合がいい楽な条件での「さんすう」にすぎないということなのか。仮にそうだったとしても、それはそれで一つの教訓として後世に伝えるだけの値打ちがある話だ。無能集団にスーパーコンピュータを使わせても何の業績にもならないという明白な証拠だからだ。それに、ローカルな予報を出そうにも日本の計測実態ではメッシュが粗過ぎるという話も大昔からあるのに、予算がどう、メンテ費用を賄えないと言っては、結局のところ予算不足を二流の機械学習理論で補って予測値を適当に弾き出すという三文芝居を何十年とやってきたのが、日本の気象行政や気象ビジネスなのだ。

入力や初期条件が雑だと、理論や処理がどれほど精密で高性能だろうと結果はクズだ(garbage in, garbage out)。ベイジアンや遺伝的アルゴリズムで自動的に後からでも最適化できると妄想している人も多いみたいだが、しょーもないコーディング教育をほどこすくらいなら、小学生に教えるべきだよ。

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