Scribble at 2005-04-25 00:17:14 Last modified: 2022-10-03 16:36:05

行く途中で暫く彼女と話していたのですが、僕はときどき道を歩いていて、何て事もない街角とか家々の立ち並ぶ一角とか駐車場の奥まった場所とか、そういった場所に佇んでいたら、どういう光景を眺めてどういうことを考えるのだろうか。そしてそういう場所に長いあいだ立っていて、何か得るものがあったりするのだろうかと考えてみたりします。例えば悪魔と契約して、寿命を 1 万年にして飲まず食わず寝ずでも大丈夫にしてやるからその場所にずぅーっと立っていろと言われて、その契約を交わしたとしたら、自分はどんなことをその場所で 1 万年やるのだろう? 彼女は、樹木とか妖精のようにそこでずっといても誰も違和感を覚えず、そこにずっといてもいいような存在であればともかく、人としてその場所にずっといなければならないとしたら、それは苦痛で耐えられないと言います。もちろん恐ろしく退屈には違いない。たとえ話がちょっと間違ったのかもしれませんね。どちらかと言うと、いま自分はそこにずっと居たいと思わないような場所、つまりどこかの空き地の隅とか、全然知らない人の家の玄関先とか、そういう自分の今の生活とか価値観からすると居てもしょうがないような場所にずっと居たら、そこの場所を含めていろいろな人たちの生活する様子とか土地勘とかを学んでいって、やがてそこにいることが当たり前のようになるんだろうか。そういう問いを発していたのかもしれません。あるいは、この前からさんざんシルクロード関連の本を買ってきて読んでみたり、井上靖の小説や椎名誠の紀行文を読んでみたり、NHK の『新シルクロード』を観たりして、時代や国を超えた生活とか人生を考えるときの難しさを、そういったたとえ話で表そうとしていたのかもしれません。で、そんなこんなしてるうちに西区の阿波座辺りまで来てしまい、しばし公園で休憩です。この辺まで来ると、以前にも書いた「大阪のうらぶれた光景」を求めていろんな景色を見回していたのですが、どうも単に都会の片隅っぽい景色は自分の好きな風景じゃないんだよね。単に落ちぶれた会社が並んでるような感じでは悲惨なだけですから。そのような、いったいここは大阪なのか名古屋なのか、それともどこか他の地方都市なのかまるで分からない、そういう「何の特徴もない凡庸さ」に惹かれるようなところもあります。あるいは、ビルの屋上に立てられた、ショーケンと水谷豊でも住んでいそうな異空間っぽいところとかもいいですね。とかなんとかやってるうちに、大阪ドームまで歩いてきたのでありました。ずいぶんと歩きましたね。久しぶりに運動になったようです。んでもって、大阪ドームの中を歩いて、スポーツ協会の展示室で室伏のハンマーを持ってみたり、球団グッズ売り場で清原のリストバンドとか SFジャイアンツ時代の新庄のユニフォームとか・・・は買わないで、お好み焼きせんべいを買ったのであります。帰ってから食べてみたら、結構良いです。ていうか、こういった味に慣れてるからなのかもしれませんが。で、大阪ドーム脇にあるロイヤルホストで夕食を食べて、帰りにドーム前のゲーセンで彼女と頭文字Dのバトルを繰り広げたりして、帰りは鶴見緑地線ですっと帰宅。帰りが楽なところだと片道だけだからよいですね。結局、日本橋の西側で見ているような「これだ!」という風景には出会わなかったのですが、しかしやはり西区あたりは寂れてますね。これはこれでまた別の問題なのかもしれませんが。大阪ドームなんか、これからどうするんだろうか。郷ひろみの店って、まだあるのか。

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