Scribble at 2005-05-06 09:07:26 Last modified: 2022-10-03 16:38:48

小学 3, 4 年生の頃、国語を教えていた奥野という先生が黒板に文字を美しく書くのに感心し、ペン習字のお手本を買ってきてイメージトレーニングをしたことがあります。また、うちの両親は昔のガリ版を書く仕事に就いていた(鉄筆でロウ原紙に文字や簡単な図表を書き込む仕事で、少し前まであったワープロ入力業みたいなもの)ほど文字を整えて書くのが上手かったため、両親にいささかのコンプレックスもあったのでしょう。筆文字やペンの文字では勝てないから、黒板に書くのだけは親を超えようとか(笑。それで、高校時代は「黒板に字を書くのはとびきり上手い奴」となっていたのであります。

シルクロードとかなりほど遠い話ですが、ウェブの世界ではデザイナーの末席を汚すようになってからも、タイポグラフィで扱うような均整美とか視覚性とかグリッドとか間の取り方などにはもともと関心があったので、ここ数年はときどき大きな書店にゆくと書道のコーナーへ立ち寄って、ペン習字以外の臨書テキストを眺めたり買い求めたりするようになったわけです。そこで見つけたのが、『雁塔聖教序』の解説書と臨書テキストでした。全ての文字が美しいと感じられるわけでもありませんが、中には「おぉぉ!」と声を上げたくなるほど絶妙のバランスで均整美を保っている文字もあり、『雁塔聖教序』の書に引き込まれると共に、そこで書かれている玄奘三蔵の事績について読み進めて行くようになったわけです。

玄奘三蔵はもとより『西遊記』の三蔵法師にしても、小学校の教室に置いてあった日本語訳の小説なり、夏目雅子が演じたドラマなりで名前とかお話の登場人物としてなにほどか知っていたという程度であり、彼が実際にどんなことをした人なのかは全くの無知だったため、『雁塔聖教序』の解説はかなりお恥ずかしいことながら新鮮な知識を与えてくれました。特に、長安へ戻ってからの、訳経に専心した人生を知るにつれて、苦難の旅を乗り越えた求道者としての面よりも、膨大な量の原典を訳出しようとした後半の人生に思いをいたすところが多々ありました。しかし、発端はそういうことであったにしても、いつしか玄奘三蔵が歩んだ場所あたりの紀行であるとか歴史にも関心をもち、井上靖さんの『敦煌』や『楼蘭』などを読んでは、シルクロードに関心をもつようになったというわけです。

とか書いていますが、実際には現実の仕事から少し離れたところに思いを馳せたいという逃避も含まれていたのかもしれません。他の人なら美少女ゲームとか釣りとかオフロードバイクに向かっていたところ、たまたま僕の場合はシルクロード、しかも中国寄りの地域に渦巻く歴史や紀行であったのでしょうか。本当のところはよく分かりませんが、いまの僕が大きな関心をもっている事柄には違いないので、カテゴリーとして扱うことにしました。

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