Scribble at 2024-07-04 14:41:59 Last modified: 2024-07-04 14:54:11

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1987年4月からテレビ朝日系で放送されてきた討論番組「朝まで生テレビ!」の地上波での放送が、9月いっぱいで終了するとテレビ朝日が4日発表した。番組からはスター論客が生まれ、論壇を活性化、テレビジャーナリズムに新風を吹き込んだ。

「朝生」地上波終了へ 大島渚、西部邁、野坂昭如、舛添要一、辻元清美…タブー挑み37年

僕も1980年代後半から(初回からかどうかは覚えていない)観てて、もちろん東京で働いていた頃も観ていた記憶がある。ただ、今世紀に入った頃から殆ど観なくなった。まず、この番組が討論番組でもなければディベート番組でもない、暇潰しの「娯楽番組」であることが分かってきたというのが理由の一つだ。一種の掛け合いとかヤジとかミスリードとか、要するに bullshit の応酬で終わることも多く、こんなものを「討論」だとか「対話」とか、いや議論だと見做すことすら、日本のテレビ番組(の視聴者)が後進国並である証拠だと思った。

もちろん、エンターテインメントとして大島渚の「バカヤロー!」とか、田原総一朗の逆ギレとか、野坂昭如や西部邁の放言とかを眺める暇潰しとして楽しむ人はいるだろうが、ちょうどこの番組を観なくなった時期と僕がネット・ベンチャーやウェブ・コンテンツの制作・運営会社などで働きはじめた時期が重なっていて、早い話が深夜の1時から4時なんていうのは仕事をしていた時間帯だったというのも、観なくなった理由の一つになる。

それから、この番組に出た、特に学術研究者の多くが、ブログ記事や Twitter などで「もう出ない」と言っていることが多かったことも理由の一つになる。これは最初に書いた理由と同じことなのだが、どうやら彼らは何かディベート番組や討論番組だと期待したり、自分が言いたいことをアピールできるチャンスだと思って参加するらしいのだが、ああした番組の参加者は役割が決まっているわけで、たとえば「哲学者」という役割で登場した池田晶子氏なども、マスメディアや凡人が思い描き、そして期待するような、かなりステレオタイプな「哲学者」として振る舞っていたように思う。まぁ、亡くなった人にこんなことを言っても仕方ないが、しょせん元モデルという経緯で出版社に目をつけてもらっただけの文化芸人なんて、いまで言うところの「元ゲーム作家」とか「元 SE」というセールス・ポイントしかない物書きどもと大同小異であって、芸能界出身でも自力で業績を出していったマーサ・ヌスバウムとは格段の違いがある。ともかく、学術研究者があんな番組に出たところで、僕がいつも言っているところの「社会科学的なスケールで言って誤差にすらならないような影響力」しかないのであって、はっきり言えば出る方も暇潰しだと割り切るべきであろう。

ああ、それから Facebook の詐欺広告でもお馴染みの(笑)田原総一朗氏だが、そもそも彼は電通や創価学会といった、本来ならタブーとされている話題について本を書いているのに、全くマスメディアから無視されていないし、自民党の政治家ですら付き合いがある。それはつまり、ジャーナリストとして無害であるという証拠なのだ。為政者や産業界にとって少しは害があると思われている場合は、立花隆氏にしても猪瀬直樹氏にしても、NHK ですらなかなか出てこない。マスメディアに取り上げられるとしても、せいぜい書庫がどうの読書がどうのという、僕らのような学術研究の訓練を受けた者から言えば、はっきりどうでもいい乱読や蔵書量の話ばかりで取り上げられる(彼らの「読書量」の実態というのは、例の差別発言で知られた Daigo とかいうインチキ野郎と同じで、スタッフが作成した要約を斜め読みしているだけだと言われている)。ということで、ジャーナリストの力量としても疑問の余地が多い田原氏など実はどうでもいいのであって、何年も彼を起用してきたテレビ朝日こそ、庶民に最適化された番組編成としての成功を自負してもよいと思う。いま、そういうスキルが存分に発揮されているのが、サイバーエージェントと組んで「テレビ朝日が配信するネトウヨ局」という Abema だろう。

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