Scribble at 2025-08-29 12:59:16 Last modified: 2025-08-30 11:53:08
長い平和と停滞する経済の中で、歌舞伎や文楽のように「かたち」にこだわる洗練された文化が生まれた。これをアーネスト・サトウは「停滞を安定と取り違えている」と評したが、丸山眞男もいうように、それは(少なくとも初期には)意図的に取り違えたのだ。江戸時代は停滞の時代をいかに生きるかのモデルともいえよう。
こういう、過去の事実を一部だけ切り取っては現代に通用するかのようなアナクロニズムを平気でやるのが、歴史の素養や歴史的事実を扱うセンスのない人々の社会批評だ。自分たちでは「理系」だと思っているようだが、しょせんはていどの低い確率微分方程式ていどを扱えるだけの数理経済の人々というのは、もちろんサミュエルソンのような人物すら含めての話だが、この世界で起きている物事を雑に(しかも自分たちの未熟な知識や経験に最適化すらして)切り取っているだけだという自覚が足りないのではないか。
興行成績が良いと宣伝されている『国宝』のような映画にちなんで書いている記事だろうとは思うが、江戸時代に展開した文化の裏で、あの時代は地方で多くの餓死者を出している。亨保、天明、天保の大きな飢饉だけでも合計で300万人が亡くなったという推定がある。江戸時代の総人口は17世紀に3,000万人を超えたとされていて、その数と比べると総人口の約1割が餓死した計算になる。もちろん小規模な事例も加えられるし、餓死を避けて俗に言う間引きやら口減らしやらで子供や老人を殺した集落もあるだろう。僕は短絡的な漸進主義や進歩史観は信用していないものの、どう考えても現代は江戸時代を参考にするような生活水準でも経済状況でも社会システムでもない。
これは歴史学や考古学を学んで、中学時代に末永雅雄、森浩一といった当時の重鎮から研究職へ進むよう嘱望されるレベルまで到達した人間として言わせてもらうが、「歴史に学ぶ」だのと、あまりにも過去の出来事や事実について安易な思い込みで語ったり論じる人が多すぎるように思う。もちろん、それ自体を否定したいわけではないが、F ラン大学の経済評論家風情に歴史を正確に調べたり分析したり解釈したり総合して教訓を得るといった、社会科学者としての素養や歴史家としての経験や知識などないと思うね。はっきり言うと、ちまたに飛び交っている「歴史に学ぶ」といった軽口の実態は、せいぜい歴史小説や大河ドラマや『プレジデント』に掲載されるインチキ記事などで歴史を語るような話であり、高校レベルの部活すら経験のない人間がテレビ中継されている野球のプレイや采配を批評しているような愚行と同じなのだ。
もっと明快に言うと、素人に大文字の「歴史」を語る資格なんてないのだ。せいぜい、てめーの生きてきた人生を雑に語るのが関の山であって、この国は小説家とかドラマの脚本家とかに(悪意があるとは思えないものの)騙されてるように思うね。