Scribble at 2025-08-29 21:27:25 Last modified: 2025-08-30 11:52:08
No.134902
呪文とか言ってる記事があったら外しとけ
2025年の時点で呪文とか言ってるのはびっくりするくらい内容古いかPV稼ぎか実際は何もわかってない
画像生成 AI の話題を色々なサイトで眺めているのだけれど、僕が普段から作っているモノクロ写真風の風景だとか、あるいは中世の画家のスタイルをベースにした宗教画っぽい画像とか、そういうもののノウハウを議論しているコミュニティというのは、はっきり言ってない。みなさんのご想像どおり、CGM コンテンツやフォーラムの殆どは、簡単に言えばエロ画像を作ってる人々の溜まり場である。
ただし、そういう中でも品質についてシビアな態度をとっていて、それなりに参考となる話をしている場合もあって、たとえば「ふたば」の人工知能板などは興味深い話題を(一瞬だけだが)取り上げたり、なるほどと思わせる発言が(たまに)出てくる・・・まぁ、たいていはやっぱりただのエロ話だがね。
そんなわけで、Stable Diffusion を始めとする画像生成 AI を使ってみようという方々が参考になるリソースというのは、実際のところ非常に少ない。また、これまで何度か書いてきたように、一見すると機械学習なりディープ・ラーニングなり拡散モデルの高尚そうな解説をしているブログであっても、実際には(何も僕らのような科学哲学者として評価するまでもなく)工学部の学部か修士レベルの話しかしてないし、そういうレベルの理解しかできていないという人物が大半を占めているので、理論として参考になるリソースも少ない。参考にするべき人物がいるとしても、まず GitHub などで独自のツールをリリースしているような人々くらいだろう。たとえば、以下のページをご覧になれば、「Stable Diffusion のインストール」なんて話ばかり書いてる連中との差は歴然だろう。
https://github.com/muooon/EmoSens
ただ、作ろうとしている目当ての画像が、Ansel Adams みたいなモノクロ風景だろうと、あるいは漆原智志みたいなエロ画像だろうと、共通してアドバイスできることは幾つかある。
たとえば、AI に対する指示のテキストを「プロンプト」と呼ばずに「呪文」と書いているようなブログ記事やメディアの記事は、はっきり言って無視してよい(もっと言えば、「プロンプト」と「キーワード」と「トークン」の区別ができていない人物の文章や知識も怪しいのだが、ここまでハードルを上げると日本の生成 AI のブログ記事なんて大半が「ゴミ」ということになってしまう)。そういう連中は、十中八九どころか十中十の割合でエロ画像を作ってる人々だし、しかも程度の低い画像しか作れない人々だと断言して構わない。たとえエロ画像であろうと、やはりれっきとした風営法に則って市場に出ているプロダクト・レベルの画像というものから、それこそ小学生がオンラインの AI サービスを出鱈目に弄くって作っているようなレベルの落書きみたいなものまで、色々なグレードというものはある。当たり前だが、スケベな画像を描くにもテクニックやノウハウや見識というものはあるし、それどころか多くの批評家が述べているように(女性には不愉快な話だと思うが)「思想」すらあると言われる。なので、アートであれエロであれ、どういう画像であろうとそれぞれの基準において「よいもの」を、しかも画像生成 AI で手軽に作れてしまう環境が整いつつあるのだから、クズみたいな連中の解説記事なんて読むだけ時間の無駄である。いきなり高いグレードの画像を素人が作れてしまうことこそ AI の効用なり特徴なのだから、出来栄えの差というのは、結局のところ AI を使う人間のレベルに帰着するに決まっている。なので、未熟者や馬鹿を参考にして良いことなど一つもない。そして、素人や馬鹿だからといって初心者向けの文章が上手いわけでもなく、やはり文章もそれなりに他人を相手に書いてきた経験がないと、単なるパソコンおたくやエロ画像の収集家に的確な文章など書けないのである。昔懐かしき「まとめ記事」の人々から WELQ を始めとするコタツ記事のライターまで、そんなものが何億ページと公開されようと、日本人の知性や教養や生活力など全く向上していない。馬鹿や無知な人間がどれだけ集まって記事を書こうと、「集合知」なんてものは生まれないのであって、そういう幻想に近い偶然が過去にあったとしても、それを大袈裟に取り上げただけの「2ちゃんねる的な美談」なんてものは、もうどこの国でも起きていない。
もちろん、これは僕が権威主義者だから言っていることでもあり、僕の権威主義は常に例外を認めるし求めてすらいるので、コンピュータ・サイエンスの修士号すらもっていないパソコンおたくがすぐれた見識をもっていて的確な文章を書くという可能性は否定しない。ぜひ、そういう人物がいてほしいとすら思う(僕も、しょてん博士号はもってない科学哲学者だから、そういう意味では権威や説得力などないかもしれない)。でも、そういう人物が隠れた天才としてどこかに「いるはずだ」とか「いるべきだ」などという妄想は危険である。都内のインチキ編集者が尊ぶ「独立研究者」だの「在野」だのという、しょせんは自分たちが勝手に作っただけの「第二の文壇」という出鱈目な権威で文化の一部のヘゲモニーを掌握したいなどという子供じみた政治活動なんて、われわれのような権威主義者は認めない。それは偽の権威であり、粉砕すべきものである。
実際、「ふたば」でも上記で引用した発言のように言われていて、ふだんはエロ画像の話ばかりしている人々ではあるが、一部の発言については同感だ。