Scribble at 2024-03-01 08:09:27 Last modified: 2024-03-06 13:31:07

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理想的には、人間とAIエージェントが共同作業を行うパートナーとなる「ヒューマン・イン・ザ・ループ」システムということになるでしょうか。

ウェブをますます暗い森にし、人間の能力を増強する新しい仲間としての生成AI

僕がこの手の tech 系のメディアというのを殆ど見ないのは、科学哲学のプロパーであればご承知かと思うが、大半の議論が garbage in, garbage out になっていたり、牧歌的とすら言える(楽観主義や悲観主義の)論点先取のオンパレードだからだ。恐らく書き手の多くに自覚はないのかもしれないし、あるとしても程度の低い「マーケティング屋の発想」でしかないわけで、僕らのように広告系ウェブ・コンテンツの制作会社として、良い悪いはともかく電通と長らく仕事をしているような哲学者から見れば、読んでも読まなくてもどうでもいいような文章でしかない。なので、こういう記事で取り沙汰されている議論にしても、諸兄のような科学哲学のプロパーが気にするような中身はないと言ってよいから、上のリンクをたどって読むなら暇潰しとして一読されたい。ああ、あと元ネタになっているらしい『三体』も、ようやく文庫本として再刊され始めているようだが、これも X などで東浩紀のような人物がこぞって絶賛したわけだが、あいかわらず毎年のように現れる「現代の古典」の一つとして、10年後には BOOK OFF で投げ売りされている類の読み物だと思う。まぁ、単行本で全て買い揃えているから読むけどね。(僕は暇潰しが大好きだ)。

いうなれば、ここで議論されているのは大昔から繰り返されてきた「ウェブ・コンテンツなりコミュニティの多層化」という話の繰り返しなり表装替えでしかない。そして、こういう人々が「レイヤー」とか「重層化」といった、ポモ系統の読み物に出てくる格好いい言葉やコンセプトが大好きなので、それが単なる棲み分けや断片化でしかなくても、「レイヤー」という言葉を使うほうが文章や思考内容として格好いいと思えるなら、そちらのコンセプトを採用してしまうものである。こういう連中を批評するために、本来の(言語)分析哲学とやらを励行してくれるプロパーが増えることを期待したいところなのだが、もちろん哲学者の仕事とは安物の物書きの揚げ足をとることではないのだろう。

それから、この手の tech 系のメディアが insightful ではなく、少し技術的な知識をもっていれば簡単に推論できるファンタジーを書き綴っているにすぎないというのは、実際にこういうメディアの文章が技術者や起業家によって取り上げられたり議論されることが殆どないという事実によっても裏書きされる。僕が毎日のように利用している Y Combinator の Hacker News というソーシャル・ブックマークは、いまでこそ通俗的な記事も増えてきたが、それでもいまだに若手の起業家、それから Reddit や Slashdot のようなガキとオタクの集まるフォーラムなど歯牙にもかけないエンジニアが多いサービスとして、僕はそれなりに信用して利用している。そして、このサービスで Wired を始めとする tech 系のメディアの記事が話題になる(100以上の upvoting を集める)ことは殆どない。僕が購読している Aeon のような哲学の話題が多いメディアの記事を取り上げている事例の方が多いくらいだ。そして、それは本当は Wired の記事に感化されているくせに、それを Hacker News で取り上げると攻撃されるのを恐れて、多くの人が投稿せずに(それこそ「黒暗森林理論」よろしく)沈黙しているからなのかというと、そんなことはないわけである。

そして、少なくとも認識論というアイデアを教科書や他人の書く読み物の話としてだけでなく、自分自身の話題として考える動機や事情をもっているなら、そんな「理論」なんてものよりも、われわれが考えるべき最大のテーマは、信頼すべきでもあり、疑い反省すべきでもある、自分自身の知識や記憶や思考であろう。しかし、古代ギリシアの時代から受け継がれているように、知恵や学問あるいは身の処し方という話題でもよいが、多くのテーマは自分自身だけで考えていればいいというものでもなく、対話なり議論なり協業なり、要するに分業の成果も必要である。これは、人が全知全能ではありえない以上、避けられない。端的に言えば、あなたがたはこうしてウェブ・ページを読むための電気を自分で発電してはいないし、プロバイダを営んでいるわけでもなければ、ブラウザの開発者でもないし、そもそもこの文章(その内容の是非はともかくとして)の著者ではない。こう考えるだけで、いま読んでいる文章が僕のタイプしたテキスト・データなのか、それとも Gemini が生成したテキスト・データなのかなんて、実は些細な問題でしかないと分かるはずである。

あと、こういう文章って SNS が「最表層のウェブ」だという思い込みがあるように思うんだけど、それって正しいんだろうか。たとえば、もともとの WWW のコンセプトから考えるに、あれが CERN という制約されたコミュニティでの自由な情報のやりとりだったということからすれば、実はダーク・ウェブのようなものこそ、WWW の本来の姿ではないのかという気がしないでもないんだよね。呼び方のせいで、なにかいかがわしい(まぁ、本当にいかがわしいんだけどさ)ものであるかのように語られたり考えられやすいわけだけど、技術、それからその実装なり成立・管理において影響を与えている社会学的な発想(なにも僕は社会学という分野を軽視しているわけではない。かつてはルーマンの次世代を担う法社会学者を志望していたこともあるくらいだ)として考えると、そう簡単に否定できるものではない。これは、情報セキュリティの実務家としても言っている。

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