Scribble at 2024-06-06 11:53:49 Last modified: 2024-06-06 12:05:06
和布刈(めかり)公園(北九州市門司区)の潮風広場に設置されている旧国鉄の客車の利用を巡り、賛否が分かれている。地域活性化を目的に、客車を全面改装したカフェが5月にオープンし、週末を中心に家族連れらでにぎわう一方、鉄道ファンなどからは「歴史ある車両の価値が失われた」などと批判の声が上がる。
重要な遺跡として国の史跡などに指定された場所の発掘調査が終わった後に、よく史跡公園などとして整備されたりするのだが、そういう施策にも上の記事と似たようなことが起きる場合がある。つまり、史跡公園としての整備事業が地下にある遺構へ悪影響を及ぼすリスクがあったり(たとえば公園として植物を広範囲に植えてから自動で給水する仕組みを敷設すると、水というのはたいてい土壌に色々な影響を及ぼす)、あるいは史跡の上に「復元された」と称する、演出過剰で怪しい建物などが来訪者の理解を歪めたりすることもある。
そして、そのようなことを勝手にやった役人などが常に後から口にするのが、「良かれと思ってやった」という、東京裁判で A 級戦犯どもがひたすら繰り返したのと同じ言い訳である。僕は、これまでに当サイトで何度も書いているように、日本の官僚や役人というのは、明治、いやもっと古くは朝廷などと呼ばれたものがあった時代から、殆どメンタリティが変わっていないと思っていて、要するに彼らの中心にある行動原理は「保身」である。これは、しばしば「保守的」な態度だと見做されてきたけれど、僕が奉じている人類史的なスケールの保守という観点から言えば、こんなものは保守でもなんでもない。ただの自意識であり、肥大化した自己愛であり、要するに今の言い方で言えば東大を出たいい大人が陥る「厨二病」である。たかが登用試験に合格したていどのことで地方や中央省庁の役人となり、自分たちが国家や地域の実務を握ったというだけで、何か全てを差配できたと思いこんでしまう。彼らには許認可権という実務上の権力が選挙もなしに与えられるため、昔の帝国軍人と同じく何でも自分たちの裁量一つで動かせるかのように思い込み、そしてそのまま自分たちにはその能力があるとまで思い込むようになる。
しかし、物事はたいていうまく行かないわけで、東大や京大の学卒ていど(大半の先進国とは違って、日本の国家官僚や地方役人に大学院を出た者や企業就職などの経験者は圧倒的に少ない)に地域社会の自治など容易くできるものではない。そうして何か失敗すると、彼らには昔から便利な弁解や正当化の裏口が用意されている。それが、「良かれと思ってやった」という動機の純粋さや善意によって情状酌量を求めるという、これこそクズ右翼と同じ「伝統的」と言ってもよい口ごたえの数々である。
もちろん、彼らも結局は凡人であり、確かに間違いもすれば浅薄な考えもする。それを責めても仕方ないという限界はある。逆に、彼らが公僕だからと言って、間違いをおかすたびに首を撥ねたりしていては、更に退職者が増えるし、自殺者も増えるだろう。そうなると、古代のように宦官や奴隷として強制的に従事させるしか、なり手がいなくなる。よって、動機の純粋さというクソ右翼的な言い訳を単に拒絶して凡人の逃げ場所を塞ぐことが重要なのではない。逃げ場がなくなった凡人なんて、それこそ関東大震災のときに大勢の朝鮮人や中国人を殺した「平凡な」東京人のように、あるいは東京以外でも、僕ら自身の先祖も含めて太平洋戦争で夥しい件数の愚行をやらかした連中のように、何をするかわかったものではないのだ。凡人の逃げ場は必要だ。しかし、それが保険になってしまうと、文字通りモラル・ハザードが生じて馬鹿が官僚や役人になってしまうというリスクも高まる。
こういうわけで、世の中には官僚や役人を牽制する仕組みがいくつかあって、その一つは「市民オンブズマン」という制度だ。でも、この制度の欠点は、もちろん事後的な対応しかできないところにある。事前に何かを止めさせないと、取り返しがつかなくなるようなことについては効果がない。病気でも、それから企業経営でも同じことだが、事前にチェックすることが重要であり、それを怠って何かが起きても、たいてい事後的な対応というものはコストもかかるし、そして多くの場合に病気も会社経営も取り返しがつかないところまで事態が進行してしまっていることも多い。しかしだからといって、いちいち行政が携わっている施策なり実務について、隣に立って一挙手一投足を監視して評価するなんてことはできない。そもそも、そんなことを国民がしなくてもいいように代議士や官僚がいるからだ。