Scribble at 2025-07-10 09:49:45 Last modified: unmodified

添付画像

ジャーナリストであるギブ氏は保守党のテリーザ・メイ元首相の政治顧問を務めた人物で、反パレスチナ的でしばしば差別的なコンテンツを繰り返し掲載してきたとされるメディア「The Jewish Chronicle」と深いつながりがあるとされています。ギブ氏はBBCの意思決定に携わっており、「ガザ:攻撃を受ける医師たち」の放送決定にも関与していることから、BBCがこのような影響力のある人物の思想を無視できないような環境になっていることは問題だと、書簡で伝えられています。

100人以上のBBC職員が「親イスラエルの報道を強いられている」と衝撃的な内容を告発

日本の報道機関や自称メディアでは難しいことを、海外でも頻繁にやっているわけではないにしろ、やはり一定の見識をもった人々が公表して事の是非を問うているのだから、見習うべき点は多々あろう。

このような事例も、偽の権威を引きずり下ろす活動だと見做してよいわけで、そういう検証なり反対行動を起こすに足りる資格があるからこそ、プロフェッショナルもそれぞれの活動において個別の(小さな)権威をもつのである。

誤解している人もいるから言うのだが、僕は「権威」のヒエラルキーを単一のピラミッドのように考えてはいない。記者なり編集者なり校閲者といった職能や業種における「ミクロな権威」の集積が、メディア企業の経営者やメディアに関する議論の学者といった、「マクロな権威」を支えたり検証しているわけであって、素人がメディア論の学者が述べている議論を短絡的に否定するような態度は、ただの「夜郎自大」というものであって、それができるのは個別の資格なり実績をもつプロフェッショナルだけである。もちろん、プロフェッショナルが資格をもつのはスキルや実績が認められてこそだから、それを支えている一般のユーザにも、「ミクロ」から更に小さな「一般の利用者なりカスタマーという資格や権威」があると考えられる。だが、それも単に新聞を購読しているだの YouTube をよく観ているだのというだけでは権威をもつに足りないわけで、誰であろうと学んだり研鑽を積むような努力は必要だ。そして、その努力を続けない限り、誰であろうと権威なり資格を失うわけである。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る