2019年02月03日に初出の投稿

Last modified: 2019-02-03

そもそも記者会見は、何を聞かれてもいいという覚悟を持って開くものだ。もちろん、わざとケンカを売るような質問なら批判されることもあるだろうが、今回の「無責任じゃないのかという指摘もあるのでは?」というのは、突然活動休止を発表した嵐にとっては、聞かれて当たり前の質問だ。

嵐の活動休止会見で涙した日テレ・青木アナは“責任放棄”

視聴者や読者が批判するのは構わないらしいから書いておくと、この人物もジャーナリズムの何を学んで見識としてもっているのかは知らないが(ジャーナリストや記者や編集部員の大半が、ジャーナリズム論だろうと配属される部署の専門である政治学や経済学だろうと、修士号すらもっていないのは日本だけだろう)、勝手に世間の名を騙りスケベ根性の興味本位で他人にものを尋ねることなんて「ジャーナリズム」でもなんでもない。では、ジャーナリスト諸君に哲学者から学部レベルの演習として質問させていただくが、その「責任」とは何なのか。芸能人は観客やファンに対して引退する50年前に告知すればいいのか。それとも、死ぬ間際に「もう芸ができなくなるので、死んでお詫びを」などとジョークを言うのが、君たち記者風情が納得する責任というものなのか。

確かに、この記事で批判されているように、取材している者が個人的な感情で泣きながら質問するというのはプロ意識の欠如だと言われても仕方はない。しょせん、芸能人が活動を休止するというていどのことで、国や人類全体の文化が最も重要な効用において消失したり停滞するわけでもあるまい。しかし、だからといって何を聞いても許されるというのは、ジャーナリズムの名を騙って善悪を無視する傲慢であり、あるいは人によっては本当に何らかの精神疾患を疑ってよかろう。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook