Scribble at 2019-02-03 19:30:30 Last modified: 2022-09-29 09:34:41
視聴者や読者が批判するのは構わないらしいから書いておくと、この人物もジャーナリズムの何を学んで見識としてもっているのかは知らないが(ジャーナリストや記者や編集部員の大半が、ジャーナリズム論だろうと配属される部署の専門である政治学や経済学だろうと、修士号すらもっていないのは日本だけだろう)、勝手に世間の名を騙りスケベ根性の興味本位で他人にものを尋ねることなんて「ジャーナリズム」でもなんでもない。では、ジャーナリスト諸君に哲学者から学部レベルの演習として質問させていただくが、その「責任」とは何なのか。芸能人は観客やファンに対して、引退する何年前から告知すればいいのか。それとも、死ぬ間際に「もう芸ができなくなるので、死んでお詫びを」などとジョークを言うのが、君たち記者風情が納得する責任というものなのか。
確かに、この記事で批判されているように、取材している者が個人的な感情で泣きながら質問するというのはプロ意識の欠如だと言われても仕方はない。しょせん、芸能人が活動を休止するというていどのことで、国や人類全体の文化が最も重要な効用において消失したり停滞するわけでもあるまい。しかし、だからといって何を聞いても許されるというのは、ジャーナリズムの名を騙って善悪を無視する傲慢であり、あるいは人によっては本当に何らかの精神疾患を疑ってよかろう。