2019年02月10日に初出の投稿

Last modified: 2019-02-10

いわゆる書評ブログや専門書の梗概を紹介しているブログを読む方もいると思うのだが、そういうブログでせっせと自然科学や哲学の専門書の目次を丁寧にコピペしているような人々が、やたらと「理解」とか「学ぶ」とか「読み取る」などという言葉を使っていても、本当のところ彼らが「理解」してるとは限らないというのが実情だ。なぜなら、そういうサイトの筆者の大半は、アマチュアとしてすら何の成果も論説として公開していない単なる専門書の読書家にすぎず、高エネルギー物理のテキストだろうと重厚な社会科学の研究書だろうと、十分どころか実際に読んで自分自身がものを考え理解する役に立てているという証拠は何もないからだ。

そして、日本人が手にする書評に顕著なのが、学術書やテキストの書評にまで、文学作品の読書感想文と同じ印象批評を持ち込むという馬鹿げた風習だ。恐らくは、高校までに学卒の現代文の教師にしか国語を教わらずに東大に入ったような連中が "book review" と称して日本語の文字列を低レベルな AI よろしく出力すると、そのような情報ならぬデータがオンラインで展開されることになるわけだ。こうした「三流の文学作品」、つまりは自分たちでは専門書の書評だと思い込んでいるにすぎない、ケータイ小説にも届かないようなレベルの雑文を何十年、何千本も読んだところで、それはただのデータ処理であり情報処理の名に値しない。

そもそも、そのようなアフィリエイトの商品紹介と大して変わらぬ記事を読んで意味があると本当に思っているのか、あるいはこれまでに暇つぶしの読み物として(実は時間だけを)消費するという結果の他に何の効用があったのか、棚卸してみることをお勧めする。もちろん、読むに値する書評ブログはたくさんある。しかし、得てしてアクセスをたくさん集めているブログの中にも驚くべき拙劣なものがあり、中でも自然科学系の書評ブログは酷いものが多い。もし中身を知りたいのであれば、まさか全く予備知識もなしに専門書を読むわけでもなし、実際に書店で実物を手に取れるなら、実物を自分で手に取るほうがいい。

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