Scribble at 2021-12-07 17:14:47 Last modified: 2021-12-08 20:19:10

こういったエピソードを引くと、偏見を承知であえて書くと、奇人変人に事欠かないいかにもイギリスらしい人物像だと思われるかもしれない。いささか度を越した感情の抑制など、確かにそのような面も持っていたが、その生涯から受ける印象は「いかにもなエキセントリックなイギリス人」とは異なるものであった。ユダヤ人であり、同性愛的傾向を持ち、前述の通りその優秀さゆえに堪えたであろう挫折も味わったこともあったハートは常に自分を「外部者[アウトサイダー]」だと感じてもいた。

『法哲学者H.L.A.ハートの生涯 悪夢、そして高貴な夢』

FC2 で運営されていることは別として、内容はいつも興味深い記事を掲載しているので、何度かじっくり読ませていただいているブログだ。さて、上記は岩波から上下巻で出たというハートの評伝の紹介であり(ミドル・ネームはうろ覚えだが、「ライオネル・アドルファス」だったか・・・ウィキペディアで調べ直したら正しかったので、法社会学や法哲学を専攻しようと思っていたのは20代初めだが、そう記憶力が悪くもないようだ)、この記事も興味深く読んだ。ハートの評伝そのものにも関心はあるが、分量なりコストを考えると、せいぜい図書館で借りて読むチャンスが死ぬまでにあるかどうかといったところだ(僕が哲学者として生きる、もしくは死ぬために読んでおくべき本だとは思えない)。

ちなみに、ハートの主著である『法の概念』はちくま学芸文庫から第3版として訳出されたようだが、結局はこれも丁寧に読んで論評している事例がない。クズみたいなビジネス書の紹介記事は山ほどあるのだが、こういう古典の堅実な紹介とか書評をプロパーどころか市井の人々も殆ど書こうとしないのは、先進国でも日本だけではないだろうか。つまり、自分なりの読み方を紹介して間違いを指摘されるのが〈怖い〉という思考が先行してしまうからだろう。それは日本のプロパーどころか学生すら全く自分なりの論説をブログなどで展開しようとせず、Twitter で吠えているだけといった傾向にも現れている。日本で「学問」といえば、いまだに凡人のイメージですら、田舎に引き篭もって『論語』を独りで訓読することが理想なのか。

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