Scribble at 2021-10-10 08:49:03 Last modified: 2021-10-10 08:52:28

ここ数ヶ月のあいだ、自分の暮らしや仕事についてビジネス書の語るところを学んで活用しようという気になったのは、もちろん蔵書の整理という切実で具体的な事情もあったが、それ以外にも数多くの人々が携わる思索なり学術研究の成果を実生活の役に立てる経験が必要だと思ったからだ。既に PHILSCI.INFO で宣言しているとおり、僕は科学哲学の概説を制作したい(「概説書」という書籍にするかどうかは未定)。これまで数々の記事で非難したり侮蔑してきた、特に国内の著述家やプロパーを一掃できるていどの、圧倒的な分量と密度と、それから自覚があろうとなかろうと substantive philosopher であろうとしつつある人々への的確なサポートと〈なりうる用意〉として(想定する読者の手に渡るかどうかは、単にマーケティングだけで操作できるものではない)、概説を作ることにしたのである。

そういう著作物を誠実に制作するには、実際に著者が学術の成果を自分自身の生き方や考え方に活かした経験が必要だ。こういう経験もなしに、たかだか数年どころか数ヶ月のフィールドワークを経て、在日の居住者、自閉症患者、AV女優、同和地区住民、あるいは貧乏な右翼の青少年について悩んで見せれば〈世の中〉について何事かを考えているかのような自意識をもてると、イージーな免罪符をブログ記事や書籍としてバラ撒いているのが、日本のクズみたいなライターや社会学者である。哲学においては、哲学的カウンセリングだの、主婦や中学生を集めた哲学セミナーだの、あるいはアイドルに哲学を語らせるイベントだのと、実際のところ参加する側であれ主催する側であれ、〈どちらの側〉にしても哲学する必要があるのかないのか分かっていないような暇潰しを繰り広げていたりする。また、夥しい数の哲学の入門書なり通俗書と称する紙くずを市場に撒き散らし、単語や論点の瑣末で切実さなど欠片もない〈哲学データ〉や、言葉による魔術の石版みたいなものを消費者に与えては、社会科学的なスケールで言って殆ど効用のない消費財を売り捌いているのが、現今の哲学プロパーや物書きどもの実態だ。要するにアウトリーチでも啓蒙でもなんでもいいが、そうした読み手へのアプローチについて、実は〈哲学データ〉の取り回しという経験の他に何の見識も経験もスキルもない、議論の余地なき無能どもが哲学の入門書や哲学っぽいエッセイを、いまも続々と出版し続けている。

もちろん、これらの役に立たない(いや、仮に絶賛しつつアマゾンで星5つを投じる人がいても、実際のところ当人にとって何の役に立っているのか誰も説明したり実証できない)本が山ほどあるからといって、哲学、なかんずく学問が役に立たないと人々を失望させるのは、一つの不幸である。こういう実情は、単なる啓蒙や出版ビジネスとしての問題だけではなく、学術活動としての問題だと弁えるべきだ。本当の空理空論もあるにはあるが、たとえば自然科学者が科学哲学に対して「役に立たない」と非難するときや、高校生が科学哲学の本を読んで「役に立たない」と失望するときに、彼らが何を(場合によっては間違って)科学哲学に求めているのかを正確に調査したり理解する力がない限り、「iff とは if and only if の略だ」などと些末な事実を山ほど知っているていどの暗記小僧の成れの果てごときに他人を学問へ誘う資格などない。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook