Scribble at 2023-03-11 08:07:50 Last modified: 2023-03-12 08:52:00

本を読んだり、あるいは教科書などを通読することを面倒だと思う生徒や学生や一般人は多い。もちろん、それは時間や手間がかかるし、出来栄えの悪い読み物であればウンザリさせられることもあろう。しかし、だからといって大切なことだけ抜き出した要点集の類ばかりを求めたり、あるいは著者に要約ばかりを求めるのは、逆効果である。それこそ文字通り、昔から「急がば回れ」だの「王道」だのと言われているとおり、知りたい分野の知見というものは一定の分量を一通りこなすことが最も効果的だし、実は効率的でもある。

僕は伊坂幸太郎という作家の作品を(いまは読まなくなったが)次々と買って読んでいた時期がある。彼の作品の一つに『終末のフール』というタイトルがついた、共通の設定を色々な境遇の人たちについて描いた短編集のような長編があるのをご存じの方もいよう。対処も避けようもない隕石か彗星が地球との衝突コースに発見されて、あと何日かすれば人類は破滅的な事態へ至るという共通の設定があり、そういう状況で最期と分かっていて生きている人々の様子を描く。でも、僕はそういう大雑把なことしか覚えていない。個々のストーリーがどういうものだったのか、全く記憶にないのだ。でも、読んで何かしらの感想を持ったという記憶は残っているし、少なくとも読んで良かったという印象も残っている。そして、実のところ学術研究書であろうと小説であろうと、それだけでもいいのだ。研究書については、いくらか内容をキーワードでもいいから後で関連付けられないと困るには困るが、読む価値があったという印象が残るだけでもいいのである。なぜなら、後世の人たちに向かって少なくとも「これは読むべきだ」とだけは言えるからだ。そして、先に何かを学んだ人間の役割は、学者としての才能がないとして、それだけでもいいのである。もちろん一人が何かを読むべきだと言ったとして、後の人が全てそれに従うとは限らない。よって、無能でも多くの人が自分なりに読む価値があったという経験をそれぞれ伝えることが望ましい。そしてそういうことは、別に有能でなくてもいいし、学者ですらなくてもいいのである。

かつてアインシュタインだったか、後で調べれば分かるようなことを覚える必要はないと明言したらしい。誰の言葉なのかはともかくとして、それはおおよそ正しい。もちろん何も暗記しなくていいとは思わないし、そう明言した人物も何一つとして覚えなくていいとは思っていないだろう。とは言え、無数に物事を記憶すれば「賢く」なるわけでもないし、「正しい」思考や結論が導けるようになるわけでもない。しばしば「哲学者」というものが東大クイズ王の親玉みたいな記憶力バカだと誤解されているからこそ、こういうことを哲学者としても強調しておきたい。最も優れた翻訳家は世界で最も英語の語彙数を誇っている人物ではない。そろばんの世界チャンピオンや、円周率で最も多くの桁を覚えた人物が、数学オリンピックで優勝したり、ノベール賞やフィールズ賞も受けたという事例は一つもない。

実際、既に人の記憶力なんて明らかに凌駕している「記録」装置や検索技術なるものが実用化されて久しいのであり、何事かを蓄えて引き出すという事案において生身の脳だけで完遂する必要などないのだから、そもそも記憶力を高めたり数多くの事項を記憶することに血道をあげる理由はなくなっている。他人よりも遥かに多い英語の語彙を記憶しているなら、確かに無人島でも辞書の必要はない。でも、無人島で誰と英語を話すのか。仮に救難メッセージを地面に描くとして、そこで語彙が何万も必要なのか、というわけである。

しかし、だからといって英語について最低限の必要な語彙だけ覚えていればいいというのは、英語の勉強について書いた論説でも議論したように、英語を使う未熟な人間に育つだけである。覚えるかどうかはともかく、何かを読むときに辞書を引いて一度は目に留める経験があってよいし、それは無駄ではないのである。意味を思い出せなくても、「あ、この単語は見たことがある」という印象が戻るだけでもいいのだ。そうして、そういう印象だけでは何か落ち着かないという、いわゆる認知欲求(NFC)が起きれば、ひとりでに再び単語を覚えたくなり、つまりは必要に応じて調べなおすことで単語を覚えていくのである。結局、勉強というものはその繰り返しにすぎない。有能な人は、そのサイクルが短かかったり効率的であるがゆえに、ものをたくさん短期間に覚えたり習得できるかもしれないが、僕のように記憶力が弱くて何度も同じサイクルを繰り返さないと国公立大学の博士課程に進学できないような人であっても・・・嫌味のためでなく敢えてこう書いたが、それを実際にやるからこそ、最高学府の学歴を残せるのだ・・・中退やけどな。

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