Scribble at 2025-10-08 17:57:49 Last modified: unmodified
これは、最近になって書い直したり買い足している国語辞典だけではなく、英和辞典などにも通じる話だと思うのだが、辞書の買い替えについて安易なアドバイスをブログなどに書いている人が非常に多いと感じる。
まず大前提として、辞書も出版物である以上は、誤植や語義の間違いなどがありえる。したがって、改訂版を買い直すお金の余裕があれば、もちろん買い直すことをお勧めする。これまでに引いた言葉には間違いがなくても、次に調べる言葉の語義が間違っていたり誤植を含んでいないという保証はないからだ。そういうリスクを少しでも減らしたいなら、やはり新しいものを使うほうがよいだろう。
だが、これを異なる辞書どうしについて語る人もいて、新しく編集され公刊された辞書にどんどん買い替えるべきであるかのようなことを書く人がいて困る。それは、再び誤植や語義の間違いが含まれる可能性があるかもしれない出版物のリスクに向き合うということなので、既にある辞書の改訂版を買うのとは意味が全く異なる。そういうことすら分からないで、やれ辞書マニアだの辞書おたくだのと自称している馬鹿者がいて、実質的にそういう連中はアマゾンなどへの ID 付きのリンクを張っているのだから、単なる「アフィカス」だと言っても良い。
異なる辞書どうしを比較して買い替えようとするなら、後から出た辞書がどれほど斬新な編集方針を採用したり、あるいは版面が読みやすくなっているとしても、やはり判断は慎重に行うべきであろう。まず大前提として、これまで1ページごとに語義の誤りがあるとか誤植があるなどと大勢から非難された辞書は存在しない。したがって、たいていの辞書は収録する語の選択などでいくつかの違いがあり、そして20年前や40年前の辞書であろうと、言葉の語義を説明する出版物としては信頼して良いものである。仮に40年前の辞書で「ヤバい」という言葉の語義に「すばらしい、美味い」という現代的な説明がないとしても、それを既に使っている人にとっては蛇足であろうし、若者の言葉が分からなくて調べている人であれば、まずスタンダードな意味で理解してから、若者とのやりとりに食い違いが生まれたときに用法を尋ねたら良い。そもそも、言葉の意味を知るために辞書だけで事足りるなどということは傲慢であって、辞書の編集者が仮にそんなことを考えているなら、僕はそういう辞書は最初から信頼しない。辞書は、あくまでも編集された時期に観察されたり理解された限りでの triad、つまり syntax, semantics, pragmatics のスナップショットであり、多くの語義については信頼して良いものの、必ず不足や不備があるものだ。そして、そういうリスクが大きいと判断すれば、最新の辞書へ買い替える必要があるだろうし、そういう理由で買い替えるのは正しいと思う。 したがって、極端な例を挙げるなら、『言海』(大槻文彦)なんていう明治時代の辞書なんてものは、好事家でもない限り読む必要など断じてない。それは、言語学や言葉に関してすら暇人のやることだ。