Scribble at 2025-10-08 13:50:13 Last modified: unmodified

日本語には同じ表記を使っていても意味が異なる言葉というのがあって、もちろん他の言語にも類例はあろうが、いずれにしても初学者の習得において注意すべき特徴の一つだろうと思う。

「物事の真面目を真面目に学ぶ。」

このようにわざと書く人は少ないと思うので、いかにも出題のための作文という嫌らしさはあるが、しかし上の例文は原則として間違ってはいない。そして、たぶん日本語ネイティブの人でも相当な割合の人々が、これを読めないし正確な意味も説明できないと思う。

「ものごとのしんめんぼくをまじめにまなぶ。」

平仮名で表記すると、上の例文はこのようになる。おそらく、多くの人は「真面目」を「まじめ」と読む知識しかないだろう。いや、なにごとかを真面目にやったことがないたいていの凡人にとっては、「真面目」を「まじめ」と読む知識があるかどうかも疑わしいが、ともあれ「しんめんぼく(しんめんもく)」と読める人の方が少ないのは確実だろうと思う。なにせ、真面目には物事や人物がもつ本来の価値(真価)や姿という意味があり、大多数の人にとっては、それらを知るための厳しい研鑽や訓練や人同士の濃密な関わり合いなど全く経験がないことだからだ(もちろん、僕にそれがあると言いたいわけでもない)。関心がなく経験もないことがらを言い表す言葉など、たいていの人は知らないし、覚えようともしないし、覚える機会すらない。よって、こういう言葉がたいていの日本語話者の語彙に含まれるなんて可能性はないわけである。

もちろんだが、これは誰彼を馬鹿にするために論じているわけではなく、国語辞典を丁寧に読み始めて僕自身が自分について思うところを述べてもいる。しかし、だからといって自分だけがアホではないかと心配しているわけでもなく、少なくともこういう機会に身の程を改めて知る機会や意欲があるだけでも、僕は凡人のなかでもいくらかマシなのだろうというくらいの自負はある。

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